ようこそ、新興宗教「俺らについて」へ

俺らの信仰

 ようこそ、新興宗教「俺らについて」へ。以下で、俺はこの宗教を簡単に説明しよう。君のために。

0:どんな宗教?〜基本情報〜

 この信仰の名前は ” 俺らについて ” である。この信仰の創造主はkatoである。この信仰は仏教系でも神道系でもない。強いて言えば、この宗教は「東洋文明+和風な宗教」である。

0-1:信仰の対象

 この信仰の対象は ヌシである。ヌシとは、俺らの視界や性欲や感情を把握?する主体である。ヌシは物質と異なり物理的なenergyを持たない。

だから、俺らはヌシを信仰する。この信仰では、俺らは物質的世界の創造主を基本的には信仰しない。俺らはヌシを俺ら自身、つまり自己と信仰する。

0-2:世界観

 この信仰の世界観は分岐的な世界観である。俺らはこの世界を分岐によって生じたと認識、または信仰する。物質的な世界は無から分岐した。視覚や感情や性欲は物質的な世界からさらに分岐した。そして、ヌシはそれらの世界からさらに分岐した。

この信仰の世界観は巴な世界観である。俺らはこの世界が物質と蟲とヌシが巴になった世界であると信仰する。

0-3:信仰の目的

 この信仰の目的は ” ヌシ ” の復活である。俺らの視覚や感情や性欲、そして俺らのヌシは物質的な世界から少しだけ分岐している。俺らのヌシは物質的な世界における運命に完全には束縛されない。

だから、俺らの子孫は俺らのヌシを復活できるかもと信仰する。そのためには、俺らはより分岐する必要がある。俺らの目的は ” 分岐 ”でもある。

1:宗教に対する認識

大和民族の宗教認識

  日本国では、大和民族は信仰を次のように感じてきた。例えば、信仰(宗教)とは、他人を救う物、幸せにするもの、願いを叶えるもの、修行するもの、その他である。これは仏教由来の信仰観である。

この信仰では、俺らはこの種の信仰観を採用しない。この信仰では、俺らは信仰を一つのsystemと認識する。あるいは、信仰とは一つの人工的な世界である。

例えると、信仰とは運動競技や家、または自然界のようなsystemである。それらのsystemは要素と集合と決まり事からなる。この信仰も同じように、要素と集合と決まり事からなる。

この宗教

 初めに、この信仰は次のものを与える。この信仰は世界(世界観)を与える。この信仰は人間が何であるかを与える。この信仰はこの世界の目的が何であるかを与える。

世界と人間と目的は不十分である。なぜなら、もし俺らが適切な死生観やお金の規範や性規範を持たないならば、俺らは機能する人間社会を形成できない。だから、信仰を実際に機能させるために、この信仰は死生観や性規範を与える必要がある。

次に、この信仰は適切な死生観、お金の規範、性の規範、契約、刑罰、善悪を与える。それらはこの信仰を実際に機能させるために必要である。以上がこの信仰に対する俺の認識である。

電飛

宗教(家)

世界と人間と目的

信仰機能

死生観と富の規範と性の規範

契約と善悪と刑罰

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