
日本列島では、武官が伝統的に重視され尊敬されてきた。一方、勉強できる文官はガリ勉と軽蔑されてきた。これは現在における学問的シャーマンやガリ勉やキモオタに対する日本人の軽蔑感を見れば、納得できるだろう。
日本国では、シンガポールや朝鮮ほど、学歴は重視されない。学者はバカっぽい。情けない。頼りない。日本人の印象はこんな感じである。ただし、不良っぽい高学歴は尊敬され出世してきた。
以下の記事では、不良の知性を実演しよう。俺は不良でないけれども。なお、不良はチンピラやヤンキーでなく綺麗なヤクザに近い。ヤンキーというと白人の米国民を連想させる。チンピラはバカっぽい。「ワル」は不良に近い。
1:鉛筆一本と電子計算機一台を交換する方法
問題点
不良がキモオタを殴るとき、問題が生じる。その問題とはその行為は違法行為であることである。不良はこの問題を回避したい。
だから、不良はなぜその行為が違法行為であるかを一旦省みる。すると、不良は次の答えにたどり着く。
解決案その1
不良はキモオタを人間でないと認識する。だから、たとえ不良がキモオタを殴るとしても、それは人間に対する暴行でないので、違法行為にならない。不良はこう考える。
不良はキモオタを同じ人間であると認識してきた。不良はキモオタを同じ人間である仮定してきた。だから、不良(人間)がキモオタ(人間)を殴る時、その行為は違法行為になる。
暴行行為とは、ある人間がほかの人間を殴る事である。不良はその認識や仮定が間違っていると審判する。つまり、キモオタは人間でなくひともどきである。
もしキモオタが人間でないならば、たとえ不良がその対象(オブジェクト)を殴っても、その行為は違法行為でない。なぜなら、その対象は人間でない。だから、不良はその対象を殴った後、電子計算機と鉛筆を交換できる。
解決案その2
その行為が違法行為であるのは取り決めや約束である。だから、その取り決めを解除すれば良い。そのとき、不良は一本の鉛筆とコンピュータを交換できる。
不良は正当防衛を利用して、キモオタを殴れる。やり方はこうである。まず、不良はじゃんけんを彼に強制する。
そのとき、じゃんけんに勝った人間は相手を殴ると約束させる。不良はわざと負けて、不良をキモオタに強制的に殴らせる。その後、不良は被害者ぶって、キモオタを殴り、損害賠償として電子計算機を鉛筆と交換させる。
この種の方法は教師にも干渉されない。この種の考え方が不良の「知性」である。おそらく、日本人の大部分は上記の文章を読んだ後、不良は頭が良いと感心するだろう。
ちなみに、上記の考えは白人種がアメリカ大陸における多様性を賛美する理由にも関係する。要するに、白人種は我々モンゴロイド人種を同じ人間とみなさない。彼らはモンゴロイド人種を「サブヒューマン」とみなす。だから、彼らにとって多様性は素晴らしい。白人種の知性もこんな感じである。彼らは決して馬鹿でない。
「https://oreranitsuite.com/2019/04/18/コーカサス人種の女性観/」
2:軍事に応用せよ。
相手が軍事能力を持たない時、相手の所有物(この場合はコンピュータ)の値段が低下して、自分の所有物(この場合は鉛筆)の値段が上昇する。その時、その不良とキモオタは彼らの所有物を交換できる。不良は商いをこう考える。だから、彼らは強い。
この考えは日本国(キモオタ)にも応用される。たとえ日本国民が一生懸命働いて、土地を購入しても、もし彼らが軍事能力を持たないならば、その種の土地はキモオタの電子計算機と同じである。つまり、俺らの資産の価値が低下して、相手の鉛筆の値段が上昇する。一本の鉛筆と土地が交換される可能性が上昇する。これは非常に悪い。
次回は<不良風先物取引>
3:広告
下記の映画アウトレイジは日本国における知性を考える時、非常に参考になる。日本人の大部分は下記の人間を「賢い」とみなすだろう。U
U-NEXTにアウトレイジはなかった。代わりにGONINを推薦する。これもやくざ映画である。約15年前の映画であるが、歴史的にも非常に興味深い。バブル期の日本国を知りたい人はぜひ。
また、この映画には、同性愛者に関する話も表現されている。同性愛に対するキリスト教圏の白人種と東洋人との考え方の差も表現されたように思える。