この信仰における言語観と単語観:口寄せと忍者

俺らの宗教(主体)
https://en.wikipedia.org/wiki/Goseibai_Shikimoku
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 この信仰における言語観について述べる。なお、俺は現時点で以下の行為の正当性を与えることができない。つまり、なぜ以下の行為が正当であるかは不明である。

日本人が日本語を話す時、日本人は彼ら自身の単語で彼ら自身の肉体を操縦するような印象を持たない。一方、英語を操る白人は彼ら自身の肉体を彼ら自身の言語で操縦しようとする。俺は後者を「命令型言語」と呼び、そこでは言語は機械に対する命令(行動手順)と同じである。

英語的世界では、君の肉体と君の言語の関係は機械と命令文の関係に近い。しかし、この信仰では、分岐が良いと判断されるので、君はこの関係を採用しない。口寄せは忍者を想像せよ。

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1:単語は蟲の口寄せや召喚の手段

 口寄せ行為:口寄せとはヌシが画像や映像をヌシの蟲的世界に製造?する行為である。ただし、君は認識を重視する。君は単語を経由しなくても、画像や映像を直接的に召喚できるように訓練する。

例えば、君=ヌシが「りんご」と発話する時、君は君の蟲的世界の中にりんごを口寄せ(または召喚)する。その後、君は動けと唱える時、そのりんごは運動する。

1:蟲的世界における画像と映像

 画像蟲:君は蟲的世界に口寄せされた画像と画像蟲と呼ぶ

 映像蟲:君は蟲的世界に口寄せされた画像と呼ぶ

 像蟲:画像蟲と映像蟲の総称。

当然、画像蟲や映像蟲は君のヌシでない。君は君のヌシが君の物理的脳を操縦して像蟲を蟲的世界に口寄せするような感覚を抱く。

2:単語の役割

 単語それ自体は像蟲でない。単語は対象や物体に対する名札である。

 単語に対する印象:単語は物体に貼られる札である。

 札の札:君は札それ自体を口寄せしたい時、札(苗字)x(名前)と唱える

2:口寄せの順序は名詞(存在)→状態→動詞(運動)

 君の肉体の操縦法:君が像蟲を口寄せる時、その順序は名詞(存在)→状態→動詞(運動)である。

 具体例として、君はりんご20個と発話する。すると、りんご20個が君の蟲的世界に口寄せされる。その後、君は一列と唱えると、そのりんごは一列に並ぶ。最後に、君は動けと唱える。その後、りんごは一列の状態で動く。

君がりんご20個と行った時、りんごの種類は指摘されないので青森のりんごや山形のりんごなどが適当に口寄せされる。また、初期状態も指定されない場合、りんごはばらばらか一列かは指定されない。運動も動けだけでは何も指定されない。

3:口寄せの条件は名字や名字及び名前など

 口寄せの条件1:君が名字を唱える時、ある蟲が口寄せされる。

 口寄せの条件2:君が名字と名前を順序的に唱える時、蟲が口寄せされる。順序は名字→名前である。

 口寄せの条件3:君が名字と名前と数を唱える時、蟲がより正確に口寄せされる。

 口寄せの完了行為:君が名字と名前で口寄せを完了させたい時、君は名字と名前を唱えた後、完と唱える。すると、単語の口寄せが完了する。なお、終了と完了は異なる。未完の漫画は終了しているが、完了していない。

条件1では、りんご完でりんごが召喚される。しかし、りんごの種類や大きさや数は指定されないので、100万個の不揃いなりんごが召喚されるかも。

条件2では、りんご・富士・完でりんご富士が口寄せされる。しかし、数は指定されていないので、りんご富士は100個口寄せされるかもしれない。

条件3では、りんご・富士・3個・完でりんご富士が口寄せされる。しかし、それらの状態は指定されていないので、ばらばらに召喚されるかもしれない。

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