志村五郎の死について思う事〜なぜ科学費が必要であったか〜

大和民族
new york times
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 日本人数学者志村五郎が死んだらしい。外部から見ると、彼は昔の日本人の雰囲気を持っていたように見える。彼は中国に関する書籍を出版した。彼はどことなく江戸時代の雰囲気を漂わせた。俺は数学について知らないけれども、この種の東洋的な学者を好む。

21世紀の現在、日本国における大学は多様性や国際化を推進してきた。俺はこれに対する強烈な違和感を覚える。大和民族の学者はなぜ日本人が研究費を貸し付けてきたのかを忘れてしまったように思える。

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研究費の意味

 研究費の意味:有色人種も数学的な業績や科学的な業績を残せることを証明する必要があった。

奴隷化の防止

 研究費は白人によって奴隷化されないために必要であった。近代において、白人は色付きを奴隷化し虐殺してきた。白人種は我々色付きを人間とみなさなかった。

日本国は欧州から遠かったので、俺らの先祖は白人によって奴隷化されなかった。しかし、軍事能力や工業能力差が激しかった。白人はこう考えた。

「ジャップは猿である。」

「ジャップはsubhumanである。」

「だから、殺しても、殺人罪でない。」

俺らの先祖は白人を非常に恐れただろう。当時の日本人にとって、科学や数学とは何であったのか。それは白人に色付きが人間である事を認めさせる手段であった。

「色付きが科学や数学に長けている。だから、色付きも白人と同じ人間である。だから、白人は色付きを家畜や人もどきとして虐殺すべきでない。」

この種の思考があっただろう。だから、彼らは科学や数学をやる必要があった。日本人の日本国民は科学費の貸付に心情的にも納得した。俺が志村五郎やその前の世代の学者を見る時、俺はこの種の歴史をいつも想う。これは南部陽一郎にも言える。

現在の学者の勘違い

 現在、日本人の学者の何人がこの種の歴史的な背景を理解できるのか。彼らはこう考えているように見える。

「俺は人類のために科学やってやってる。」

「だから、税金をよこせ。」

「二重国籍よこせ。」

ニュートンもアインシュタインもマクスウェルも皆白人であった。本来であれば、日本人の日本国民が日本人の科学者や数学者にお金を貸す意味などない。もし日本人が人類のためを考えるならば、日本人は白人にお金を貸せば良い。

しかし、事実はそうでなかった。日本人の日本国民は日本人の学者にお金を貸してきた。現在の学問的シャーマンはこの人間的感情を理解しているのか。

「なんで白人よりも劣等な日本人の学者にお金を貸してるのか、わかってんのか」

日本人の日本国民の大部分は上のように考えている。日本人の大学教員は次のことを忘れてる。近代科学は西洋文明の象徴である。そして、色付きにとって、それは人間として認められるための手段であった。だから、日本人は研究費を彼らに貸し付ける必要があった。

たとえそれが焦げつこうとも。

たとえ彼らが不良債権になろうとも。

私たちの子孫が白人によって虐殺されないために。

私たちの子孫が笑顔で暮らせるように、、、。

グローバル?

 俺の認識:日本国民は研究費を大和民族の研究者が白人に認められるために貸し付けていない。

 現在、「国際化」や「多様性」が頻繁に叫ばれている。この種の考えは日本の歴史や東洋史とって非常に悪い。

多様性の賛美は家畜化?

 アメリカ大陸における多様性は我々モンゴロイド人の虐殺の結果である。もしモンゴロイド人がそれを賛美するならば、その行為は家畜と同じである。家畜として虐殺されないために、科学費が貸付られてきた。もし彼らが多様性を賛美して自己家畜化するならば、研究費それ自体が不要である。

日本人の学問的シャーマンはそのお金を意味を理解できてこなかった。なぜ日本人の学者は白人よりも劣等であるのに、彼らはお金を借りれたのか。彼らはそれすら理解できない。

白人コンプの解消?

 日本人の学者に必要なのは科学や数学でなく、顔のより良いデザインや高身長ではないのか。なぜ日本人の学者は白人の猿真似を繰り返すのか。なぜなら、彼らは白人になりたい。

フィリピン人は肌の色を白くしようとする。なぜなら、もし彼らの肌の色がより明るくなれば、彼らは白人になれると錯覚する。お金持ちになれると錯覚する。白人扱いされると錯覚する。

日本人の学者もこう考えているように思える。もし日本人が科学や数学をやれば、白人になれる。白人に近づけると、、、。

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