
深井は論文や書籍を捏造したが、誰も彼を批判してこなかった。俺は信仰の自由に対する違和感を持つ。それには二つの理由が存在する。
- 彼らは神を信じているのか、白人を信じているのか
- 彼らは信仰に対する真剣さを持っているのか。
1:キリスト教は白人ごっこの延長線?

1:彼らは神を信じているか
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俺は日本人のキリスト教徒が神を信じているように思えない。彼らは神でなく白人を信じているのでは。日本人のキリスト教徒の大部分は宗教でなく宗教の皮をかむった白人崇拝である。
だから、日本人のキリスト教徒はめちゃくちゃ嫌われてきた。彼らは神を信じていない。彼らは白人を崇拝してきた。
この種の心理は日本人のsayokuや日本人の学者や西側の白人との中間種にも見られる。彼らもめちゃくちゃ嫌われている。なぜなら、彼らは白人崇拝者である。
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2:宗教に対する真剣さはどこに?

1:コーカサス人種との違い
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キリスト教の白人もユダヤ教徒の白人もイスラム教徒の中東人種も宗教に非常に真剣であってきた。彼らにとって、宗教religionとは人生や文明や歴史そのものであった。だから、俺らも彼らの宗教に関してある程度真剣に応答してきた(もちろん、大部分の日本人や東洋人は彼らの宗教に対する興味を持たない。なぜなら、それらは東洋人にとってインドのカースト制度と同じようなもの。)。
それに対して、日本人のキリスト教徒は宗教に対する真剣さを持っていないように見える。彼らは白人気分を味わいたいだけ。だから、日本人の大部分は宗教を愚かなものやくだらないものと判断してきた。
実際、俺もそう思う。俺が日本人のキリスト教徒を見ていると、宗教のくだらなさやあほらしさを感じるので、俺は宗教に関して真剣に応答する必要がないと判断する。
「白人イケメン〜だから、キリスト教(❤️)」
「白人ハーフの子供を産んで自慢したい〜、だからキリスト教(❤️)」
「https://oreranitsuite.com/2019/04/06/日本人に信仰の自由は必要であるか/」
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2:善悪の判断に興味を持たない日本人のキリスト教徒
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俺の印象によると、中東系三大宗教は善悪の判断も定める。この種の宗教は人間の善悪と密接に関係しているように思える。ここが東洋人との違いである。
東洋人の善悪の判断は宗教書でなく彼ら自身や親の教えによる。だから、東洋人の善悪の判断は現実的であり流動的である。中東系三大宗教は善悪の判断と密接に結びついているように見えるが、日本人のキリスト教徒は善悪の判断を下せるのか。
俺は日本人のキリスト教徒を白人崇拝に関して批判した。けれども、俺はまともな応答を彼らから獲得できないだろう。なぜなら、日本人のキリスト教徒は善悪の判断すら下せない。
さらに悪いことに、彼らは善悪の判断すら下す意志を持っていないように思える。では、なぜ彼らはキリスト教徒であるか。なぜなら、彼らは白人気分を味わって色つきを見下したい。

もし日本人のキリスト教徒が善悪の判断に興味を持っていないならば、なぜ彼らは宗教を信じるのか。
日本人が日本人のキリスト教徒が白人ごっこしたと考えるのは自然である。
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3:学会の問題

1:罰がない
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日本人の学問的シャーマンは大学への法律の適用を嫌う。なぜなら、彼らは不安を恐れ愛情の確認を求める。彼らは法律の適用を学問の自由や大学の自治に対する侵害や愛情の確認を破壊するものとみなす。
その結果、彼らの社会は非常に腐敗してきた。たとえ彼らが捏造を繰り返して、大損害を与えても、彼らは罰されない。小保方晴子のように博士号が剥奪された後、彼らは正義が執行されたと宣言する。
彼らは社会の概念を持たないので、すべての物事を学問の自由や大学の自治のもとで処理しようとする。だから、彼らの捏造や腐敗は浄化されない。彼らの組織はまるで東南アジアのように腐敗している。
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