この世界の造り主(神)の意志〜俺と君の信仰〜

俺らの宗教(主体)
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https://oreranitsuite.com/2019/07/10/俺と君の信仰%E3%80%80信仰と宗教の違いについて/

この信仰では、俺と君は創造主を信じない。ただし、もし君が神を信じないと虐殺されそうになるならば、君はそれを信じて生き延びる。君は東洋人であるので、君は環境の変化に合わせよう。

1:神の意志の存在と世界に対する疑い

何らかの意志→人間による疑いの発生→信用概念の発生

何らかの意志が存在するとき、君は意志が関係したものを疑う(doubt)。

例えば、政治や広告やマスメディアはうそに塗れている。だから、君がそれらに関わるとき、君はそれらを疑ってかかるだろう。

これはこの世界にも言える。もし君がこの世界の造り主を信じるならば、この性には、その造り主の意志が関係する。そのとき、広告や政治と同様に、君はこの世界を疑うだろう。

君が生まれてきたのも、造り主の意志に関係する。君の視界や聴覚にもこの世界の造り主の意志が関係する。君の人生のすべて、君の見るもの、聞くもの、その全てにこの世界の造り主の意志が関係する。

そのとき、君はこの世界の全てを疑わなければいけない。もしこの世界の造り主の意志がこの世界に関係するならば、君は君の視界も聴覚も君の人生も「信用」できない。要するに、自然界それ自体が広告やマスメディアや政治と同じようなものである。

もし君が科学者であるならば、君は自然に関する「信用可能な情報」を製造できない。なぜなら、もし君がこの世界の造り主の意志を信じるならば、自然界にはこの世界の造り主の意志が関係する。

2:もしこの世界の造り主の意志が存在するなら?

もしこの世界の造り主の意志が存在するならば、君は自然界を信用できない。

もし君がこの世界の造り主の意志を信じるならば、この世界の造り主がこの世界に関係する。そのとき、もし君が世界の本当の姿を知覚、または認識したいならば、君はこの世界のすべてを疑わなければいけない。

当然、君自身や君の視界それ自体もこの世界のすべてに含まれる。だから、君が今現在見ている景色もこの世界の造り主の意志が関係しているので、君は君自身の景色を疑わなければいけない。

この問題を解決する方法の一つは神への無批判的な服従である。そして、それが人間の本質である。21世紀のイスラム教では、この神への服従が人間の本質であるとみなされてきた。

要するに、君が太陽の運動を疑うとき、その運動には、神の意志が関係するので、その行為は神の意志への冒涜である。彼らはこう考えた。

もしこの世界の造り主の意志が自然界に関係するならば、君は何を信用、信じるべきかわからなくなる。君は君の意識や視界すら信用できない。だから、意志に服従することが良い。

この世界の造り主に関して、宗教対立が存在してきた。なぜなら、もしこの世界の造り主が異なるならば、君は君の人生の全てを信じることができなくなるかも。

例えば、君はこの世界の造り主aを信じてきたにもかかわらず、もしこの世界の造り主がbであるならば、君の人生や君の尊厳や君の人間存在としての本質が否定されるかもしれない。だから、この世界の造り主が誰であるかは重要である。

なぜなら、この世界の造り主は君の日常や君の視界や君の意志、そし自然界にすら関係する。この世界の造り主をめぐる争いは単なる神学でなく、非常に現実的なものである。

3:君はこの世界の造り主の意志を信じない

もし君がこの世界の造り主を信じないならば、君は自然界を疑わない。なぜなら、何らかの意志が自然界に干渉しない。だから、君は自然界を「信用」できる。

この信仰では、君はこの世界の造り主の意志を信じない。当然、大した根拠は存在しない。ただ、東洋人の大部分は俺のこの行為を好むはず。

この感覚は東洋人と白人を区別する。もし俺と君が白人種による干渉をひどく嫌い、俺ら自身の自己認識を維持したいならば、俺と君はこの考えを信じる。

ただし、君自身の意志は君の視界に関係する。君は君の肉体を擬似機械的に操縦して、情報を擬似機械的に製造する。

だから、科学的情報とは真理でなく使用可能な情報、または信用可能な情報である。ここで、真理とは自然界に存在しないものである。男女平等や男女公平は自然界に存在しない。

だから、男女公平が正しいか、男女平等が正しいかという正当性をめぐる争いが生じる。それを決定する方法のひとつが宗教である。

4:科学的行為とは使用可能な情報の製造である

科学的情報は真理でない。それは使用可能な情報である。科学的情報の値打ち(value)はその使用可能性である。

ただし、信用可能は使用可能でない。信用可能とは機械のようにプログラムに従って確実に動くである。たとえある情報が信用可能であるとしても、その情報はある場面では使用可能でない。

5:この信仰は人間?の本質をヌシの存在と信じる

この信仰では、君と俺は人間の本質に一つをヌシの存在と信じる。この信仰では、君と俺は人間の本質は自由でもこの世界の造り主でもないと信じる。

当然、動物にも彼ら自身の視界を見る何かが存在するように思える。しかし、君と俺は彼らと意志疎通できない。

また、君と俺は自由でなく、義務や後始末や維持や継続、対峙を重視する。君と俺は動物をよく観察した後、人間の本質をひとつずつ調べる。そうして、君と俺は人間の本質を帰納的に集めていく。

例えば、君と俺はくちゃらーしないことを人間の本質をみなす。動物はくちゃらーである。発情期における動物はおまんこくちゃらーである。

補足:意志が関係すると意志が干渉するは似ている。俺はどちらが適切かを知らない。