物質的世界と蟲的世界とヌシ的世界

俺らの信仰
http://inutomo11.com/archives/18854293.html

これは「3つの世界」の続き

0:世界に対する君の認識

 世界に対する君の認識:世界に対する君の認識や定義は現時点で不明である。

 君が空間の定義や認識を定めることを難しいと審判するように、君は世界が何かを正確に認識できない。君は世界を雰囲気でふわっと認識する=「ふわる行為?」。

 性質と状態に対する君の認識:以下で、俺は「性質」や「状態」という単語を使用するつもりである。しかし、俺は性質や状態の違いをきちんと認識していない。

 状態は記事の状態や原子の状態の状態である。一方、性質は存在や存在の状態の持つ「能力」であるかも。言い換えると、次になる。

 存在→存在の状態→(状態のある種の能力の発生)→性質→運動や動詞

1:物質的世界

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/Zytglogge-Bern-Movement_from_1530_by_Kasper_Bruner.jpg

 物質的世界に対する君の認識:物質的世界には「物質」が含まれる。物質に対する君の認識は「信用(機械)的検出器」によって感知や知覚される対象である。

信用(機械)的検出器には、君の目や実験科学における検出器が存在する。信用(機械)的検出器によって知覚されうるものが物質である。

 たとえ:車体は物質であり、車体の中のカーナビやホログラムが視覚や聴覚、運転手がヌシである。

ただし、注意点がある。ヌシは運転手と信じない。運転手という単語には、動詞が含まれる。この信仰の目的は分岐であるので、主語>状態>動詞である。ヌシを動詞によって信じることは悪い。

1:物質的世界に対する君の脳の操縦法

 知覚的操縦法:君は物質的世界を知覚する。知覚とは行為であり、ボケ老人も物質的世界を知覚する。

 しかし、ボケ老人は物質的世界を認識できない。証拠例として、ボケ老人は彼の子供を子供を認識できないが、子供を知覚している。

 君が知覚行為を「ちほる行為(痴呆るの音声的類似)」と言い換える時、君は知覚の意味をよりはっきりと把握する。知覚行為は自動的かつ受動的であるので、行為よりもむしろ行動に近いが、認識行為は意志的かつ主体的である。

 信用的操縦法:君は物質的世界を信用する。

 下記により、物質世界は自動的に作動するので、君は自動的に作動する物質的世界を信用する。信用行為とは人間が自動的に動く物質の未来の存在や状態や運動をそうであると疑わない行為である。

2:物質的世界の性質(状態)

 物質的世界の作動的性質:物質的世界は自動的に作動する。

 物質的世界の自動的な作動は俺や君の経験による。

 物質的世界の存在:物質は存在する。

 物質のみがこの世界に存在する。言い換えると、「信用(機械)的検出器」によって知覚や感知される物質、及び「信用(機械)的検出器」によって知覚や感知される潜在能力及び能力を持った物質(簡単に言うと、過去や未来や視界の外の物質)のみがこの世界に存在する。

 以下で見るように、上記の存在の認識では、蟲やヌシは存在しない。しかし、俺らは蟲やヌシを捉えているので、俺らは蟲やヌシを存在っぽい何かを見なさなければいけない。

2:蟲的世界

https://www.youtube.com/watch?v=VushgxBPyWQ

 蟲的世界に対する君の認識:蟲的世界には、君の視覚や聴覚や嗅覚や味覚や痛覚を含む五つの感覚、そして性欲や感情全般が含まれる

 君はそれらを蟲と呼ぶ。なお、蟲の名前は漫画「蟲師」に由来する。

1:蟲的世界に対する君の脳の操縦法

 蟲的知覚操縦法:君は物質的世界を蟲的世界を通じて知覚する。

 君は物質を蟲的世界を通じて知覚する。しかし、君は物質それ自体を知覚してきたのでなく、蟲的世界を媒介として物質を知覚してきた。君は物質的世界を直接的に知覚してこなかった。

 たとえ:君は家の外の様子をインターホンの画面を通じて知覚するように、君は物質を蟲を通じて知覚してきた。

 認識的操縦法:君は蟲的世界を認識する。蟲的世界は物質的世界に連動して作動するので、君は蟲的世界に対する認識を物質的世界に対する認識であると認識する。

 君は単なる物質を君の子供と認識する。ボケ老人は君の子供を知覚するが、君の子供を君の子供と認識しない。

2:蟲的世界の性質(状態)

 蟲的世界の依存的性質:蟲的世界は物質的世界に依存する。蟲は物質に依存する。

 蟲的世界の一意対応的性質:蟲的世界は物質的世界に一意に対応する。一意に対応するとは、物質的世界がaであるとき、蟲的世界は必ずαである事である。日常的には、蟲的世界は物質的世界に連動する。

 蟲的世界の自動的性質:蟲的世界は自動的に作動する。

 蟲的世界の基盤的性質:蟲的世界の基盤(土壌)は物質的世界である。ただし、蟲的世界は物質的世界の原因でないように見える。ここでの原因とは物質的世界が芽、蟲的世界が花に対応しないことである。

 蟲の連続的及び非連続的性質:五つの感覚は連続的感覚であり、性欲や感情は非連続的感覚である。君は視覚を視蟲、聴覚を聴蟲、その他の感覚を〜蟲と呼ぶ。君は性欲を性蟲、感情を情蟲と呼ぶ。

蟲的世界の存在的性質:蟲は物質と異なり存在しない。しかし、俺らは蟲を捉えている?。俺らは蟲のあり方を蟲在と便宜的に呼ぶ。

3:ヌシ的世界

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ヌシ的世界に対する君の信仰:ヌシ的世界には、ヌシが含まれる。俺の憶測によると、昔の人々はヌシを魂と呼んだ。ヌシもまた物質的世界に依存する。

ただし、ヌシは蟲的世界や物質的世界と決定的に対応しない。その証拠として、平行世界や外部条件が同じである物質的世界を想像せよ。君は二重の視界を認識しない。君は二重の痛みを感じない。

 たとえ:肉体はヌシが宿る神殿である。

1:ヌシ的世界に対する君の脳の操縦法

 信仰的操縦法:君はヌシを信仰する。

2:ヌシ的世界の性質(状態)

 ヌシ的世界の存在的性質:ヌシは物質と異なり存在しない。ヌシは蟲在でない。君はヌシのあり方?をヌシ在と呼ぶ。

4:主体と客体(対象)

 主体に対する君の信仰:君は主体を君=ヌシと信仰する。

 客体に対する君の認識:君は客体を物質的客体(対象)と蟲的客体(対象)とそれぞれ認識する。

 日本人の一部は彼ら自身の視覚や聴覚を主体や彼ら自身それ自体と感じているように思える。しかし、この信仰では、君はそれらを「ヌシの客体(対象)」と認識する。

 具体例:日本人女性は白人男性を好む。この行為に対する君の解釈とは、日本人女性は白人の肉体つまり物質的世界を好む。言い換えると、日本人女性は白人それ自体でなく、白人男性が所有する物質的客体を好む。

5:人間の本質とヌシ

 人間の本質に対する君の認識:君は人間の本質をヌシと認識する。

 ただし、問題点が生じる。それは動物も彼らの脳を持つので、ヌシは動物の中に存在しているように見えることである。この信仰の目的は分岐であるので、君は動物からの分岐を良いと判断する。

 動物の中に存在するヌシ的な何かは人間の肉体の中に存在するヌシと異なる時、その状態は君と俺にとって良い。しかし、俺はこれをかなり疑っている。俺は動物のヌシの存在を仮に正しいとするとき、もし動物のヌシを人間の肉体に入れることができるならば、人間のヌシと動物のヌシの違いとは何であるか?

 俺らは物質的世界にあまり依存しないヌシを人間の本質と信仰した。しかし、もしもし動物のヌシを人間の肉体に入れることができて、そのとき、動物と人間のヌシの違いが存在しないならば、ヌシは人間の本質でなくなる。言い換えると、人間の動物の分岐が存在しなり、人間と動物の違いは物質的世界や蟲的世界にしか存在しない。

 俺はこの状態を個人的に回避したいが、俺は現時点でその回避法を知らない。ヌシは物質でも蟲でもなく、君やおれによって信仰される主体である。だから、俺や君は人間のヌシを動物と異なるヌシであると信仰できるだろう。しかし、俺はそれに個人的に納得しない。

6:ヌシと所有について

 所有に対する君の認識、または信仰:ヌシが物質を所有する。

ヌシは君の肉体を所有する。家などの物質の所有は君の肉体を通じて間接的に所有する。

 一次的所有と二次的所有に対する君の認識:君はヌシによる肉体の所有を一次的所有と信仰して、肉体を通じた物質の所有を二次的所有と認識する。

 接触:ヌシでない対象は何かを所有しない。君はその対象は物質と接触すると認識する。

7:ヌシの連続性と復活について

 この信仰の目的は復活である。では、俺らはいつのヌシを復活させるのか。また、俺らは生まれてから死ぬまでのヌシを一貫した存在と見なしているように見える。しかし、ヌシは横軸を時間、縦軸をヌシの度合い?をとった関数のような存在であるかもしてない。

 そのとき、俺らはいつのヌシを復活させるのかという問題に直面する。さらに、昨日のヌシと今日のヌシは本当に同じヌシであるかという問題も存在する。俺は上記の問題を解決できないので、俺はこう考える。

 もし俺が一番良い状態のヌシを信仰できるならば、君はそれを復活させる。現在の年齢で言えば、20代〜30代が強い度合いのヌシであるだろう。

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