なぜ仮定法は過去形であるか?その理由If I were a bird, 〜

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 If I were a bird, I could fly.

(もし私が鳥であるならば、私は飛べるだろう)

 英語を母国語としない人々はなぜ仮定法は過去形で表現されるかと疑問に思ってきた。実際、俺もまたその理由を渇望してきた。

 ここでは、俺はその理由を提示する。なお、俺は英語のnativeでも専門家でもないので、以下の話を真に受けないように注意すること。

1:英語は矛盾を嫌う

矛盾回避法:英語は矛盾(対立)を嫌う

 もし矛盾が生じるならば、英語話者はその矛盾を回避するような文法を作成する。

2:私は現実的には鳥でない

If I am a bird, I can fly.

 実際、私は鳥でなく人間である。だから、もし私が現在形を使うならば、次の矛盾が生じる。

 現実:私は人間である。

I am a human.

仮定:私は鳥である。

I am a bird.

 つまり、もし私が現在形を使用するならば、私が鳥でない事実(現実)と仮定法上の私が鳥であるという仮定が対立する。

 その矛盾は英語話者にとって悪いので、改善されなければならかなった。だから、英語話者は過去形を使用して、その矛盾(対立)を回避した。

 以上が仮定法が過去形で表現される理由である。

3:まとめ

理由

1 英語は矛盾を嫌う

2:もし仮定法が現在形で表現されるならば、現実と仮定が互いに矛盾する。

3:英語話者が仮定法を過去形で表現するとき、この矛盾が解消される。

 以上がなぜ仮定法が過去形で表現されるかである。俺の憶測によると、過去形であることには深い意味は存在しない。重要なことは矛盾の回避である。

おまけ:矛盾に関する西洋と東洋の違い

wikipedia 太極図

 西洋では、矛盾や対立が嫌われてきた。その結果、上記のような表現が生まれた。

 一方、東洋では、矛盾はそこまで嫌悪されてきてないように思える。東洋人は全体の安定や秩序を矛盾よりも重視してきた。

 その証拠として、西洋における善悪二元論と東洋における太極図が存在する。

 善悪の二元論では、善と悪は対立して決して両立しない。だから、悪は善によって断罪される。一方、東洋では、陰陽は一体であり、その様子は矛盾を内包する。陰は陽によって断罪されない。

 ただし、全体における調和や安定や秩序は非常に重視される。

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