胎児は人間か?アラバマ州の中絶禁止法での法律観と人間観

人間について
twitter より

 アラバマ州では、強力な中絶禁止法が制定され、女性の中絶する権利が奪われた。

 無宗教の日本人はこれを異常であると審判した。しかし、日本人の一部は白人の思考をうまく認識していない。

なぜ白人は中絶に関する争いをやめないのか?

 その理由は人間とは何かに関係する。

1:胎児は人間か?

 日本人や日本人の知の肉便器は「ホモ・サピエンス」と「人間」の違いを認識できない。胎児は「ホモ・サピエンス」である。しかし、人々は胎児が人間であるかを正確に「認識」していない。

1:胎児はホモサピエンス

 白人の大部分は胎児をホモ・サピエンスと認識しているように見える。彼らがこだわるのは胎児が「人間」であるかどうかである。「ホモ・サピエンス」は生物的事実(人種や民族や性別)であり、「人間」は国民や職業や語族や宗教のような人工的概念である。

2:胎児は人間か?

 日本人や日本人の知の肉便器は胎児をホモ・サピエンスとみなしてきただろう。しかし、彼らは胎児を人間とみなすだろうか?俺の印象によると、日本人は胎児を人間と認識してこなかったので、彼らは中絶に賛成してきたように思える。

2:人間と奴隷と法律〜白人の法律観〜

 なぜ白人は胎児が人間かにこだわるのか。その理由は白人は真理を愛しているからでなく法律的なものである。

1:法律の適用範囲を定めたい

 人間の定義や認識は法律の分野で重要である。誰が人間であるかが定まらないとき、ある対象の行為に対する法律の適用も定まらない。君がある対象に対して殺人罪を適用するとき、

2:誰が奴隷かを定めたい

 コーカサス文明は奴隷文明であり続けてきた。その文明では、奴隷とそうでないものが分類された。分類するとき、人間の定義や認識が必要になった。

 もし胎児が人間でないならば、胎児は愛玩動物と同様に「所有」されるものである。

3:人間とは何か?〜白人の人間観〜

 コーカサス文明は奴隷文明であり続けてきた。その文明では、奴隷とそうでないものが分類された。分類するとき、人間の定義や認識が必要になった。

 人間という人工的な概念は家畜や奴隷という人工的な概念と同じである。

1:形や要素は人間の本質を与えるのか

 アリストテレスは形相と質料を重視した。この考えによると、人間は形と要素によって定義される。しかし、もしアリストテレスの考えが真理であるならば、胎児は人間であるので、中絶行為は殺人行為である。

 つまり、アラバマ州の中絶禁止法は正しい。

 しかし、日本人を含む人々はアラバマ州の法律はちょっとやりすぎであると感じる。言い換えると、日本人は人間の本質を形や要素を認識していない。

 では、何が人間の本質を与えるのか?

2:白人は知能を人間の本質と考えた。

 人間と家畜を分類する方法の一つは知能である。もしxが知能を持たない対象であるならば、xは人間でない。だから、白人はそれを所有できる。西側の白人はこう考えた。

 その結果、彼らは黒人奴隷制度を採用して、悲劇が生じた。

 アメリカでは、黒人の知能指数は禁忌であったが、それは人種差別だからでない。白人社会の中では、黒人の知能指数が低いという事実は黒人が人間でなく所有される対象(奴隷や家畜)であることを暗示する。だから、黒人の知能指数に関する研究は禁忌であった。

 東洋人や東洋文明は奴隷文明でないので、家畜や奴隷の意味を認識できない。

おまけ:アメリカにおける「黒い肌の色」の意味

 アメリカにおける黒い肌の色の意味とは家畜や奴隷である。白人は家畜とそうでないものを肌の色、つまり黒いかどうかで見分けてきた。その結果、アメリカでは、肌の色が重要視されてきた。

 しかし、肌の色は二次的なものである。重要なことは「知能」である。おそらく、白人はこう考えてきただろう。もしxが黒い対象であるならば、黒いは低い知能を持つので、xは家畜や奴隷である。

 日本人や東洋人は肌の色と知能を結び付けないので、彼らはこの種の考えをどうしても感覚的に把握できないように見える。彼らにとって、肌の色は単なる肉体のデザインでしかない。東洋人は奴隷や家畜をの概念をそこに見ない。

 

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