痛み及び不快に対する判断

俺らの信仰
wikipedia 家紋

 西側の白人は日本列島を含むアジア地域に侵入した後、彼らはその土地の先住民を人種的に侮辱してきた。その行為に対して、俺は彼らの行為を彼らに注意した。俺のその行為に対して、その種の白人はなぜ彼らの行為はダメであるかと俺に質問した。

 その質問に対して、俺は不快だから(注1)と応答した。すると、白人はニヤついてこう言った。

「もし不快が悪いならば、君の行為は私たちに不快感を与える。」

 さて、なぜ不快は悪いか?俺らが法律や公的な取り決めを制定するとき、不快に基づいて何かを制定してこなかった。なぜなら、不快感に基づいた法律は正当性や正統性を持たないのと審判されてきた。

 具体例として、不快だから、君の行為は悪い。不快だから、君の行為は性的嫌がらせである(でも、イケメンは別)。人々がこの種の行為に接触するとき、人々はこの種の発言を正当でない発言と審判する。

 しかし、不快感は正当性を与えないのは本当だろうか?ここでは、不快感と正当性に関する話題を君に提示しよう。

 注1:東洋人は罪の文明でなく礼や罰の文明である。しかし、白人は罪を重視して礼を軽視する。この種の行為が嫌われるのは無礼だらである。彼らは他人の土地に入ってきて、その土地の先住民を侮辱する。

1:なぜ痛いのは悪いか

 不快を考える前に、君は痛みについて考える。痛みも不快も蟲的世界に住む。

1:君の肉体を君の車体とみなす

 ヌシはきみそれ自体であり、君の肉体は君自身でない。君は君は君の肉体(車体)を所有すると解釈する。

 君は痛みを与える原因的対象は君の肉体を破壊すると仮定する。君は肉体への破壊は君への損害であると仮定する。

 君は君への損害は悪いと判断する。その後、君は悪さを回避するように君の肉体を操縦する。また、君は君への損害の原因も悪いと仮定する(注2)。

 君への痛みは君の車体を破壊する→肉体への破壊は君への損害である→判断:損害は悪い→回避行動の選択→判断:その原因は悪い→原因の除去→痛みの除去

補足

 A(原因)→B(結果)。君が君がBを悪いと判断すると仮定する時、君はBの原因であるAも悪いと判断する。ただし、多くの例外が存在する。例えば、Aが人間や人種や民族や部族である時、上記の善悪的法則?は人種浄化や民族浄化につながる。

2:目的と痛み

  痛みは目的の達成にも関係する。例えば、君は実際の車を使用して、目的地aまで辿り着きたい。しかし、その車が破壊される時、目的地までの到達は不可能になる。その時、君はその車への破壊を悪いと日常的に判断する。

 痛み→君の車体の破壊→目的の達成の不可能性

 君が目的の達成は良いと判断すると仮定する時、君は君の原因を除去するように君の肉体を操縦する。その操縦は「正当な操縦」である。

2:なぜ不快は悪いか

 さて、君は不快について考える。

1:不快について

  君は感情と衝動の区別を認識する。感情には、憎しみや怒りが存在する。衝動には、衝動的な行為が存在する。朝鮮人の火病やドイツ人のシリア難民の受け入れが存在する。

 不快は感情であり、衝動でない。不快は痛みと同様に蟲的世界に存在する。

2:不快と痛みと損害

 君が不快を痛みと認識する時、不快は損害を君に与える。

 君への不快は君の車体を破壊する→肉体への破壊は君への損害である→判断:損害は悪い→回避行動の選択→判断:その原因は悪い→原因の除去→痛みの除去

3:私をイラつかせる発言

 俺が不快だからやめてほしいと述べた後、幼稚な発言はこう返答する。

「じゃあ、私も不快だからやめてほしい。」

 この種の白人は感情を持っていないように見える。不快は感情であり痛みとお同じ蟲である。だから、不快や痛みは単なる言葉遊びでない。

 上記の発言を繰り出す白人は言葉遊びに従事する。東洋人の大部分は相手が本当に痛がっているのか、不快に感じているかを外部から察することができる。

 具体例:白人はアジア地域で入ってきて彼らは日本人や朝鮮人や中国人を人種的に侮辱して、不快感を東洋人に与えてきた。しかし、たとえ東洋人が不快だから、やめろと言っても、彼らはその感情を認識しない。

 なぜなら、白人は感情を持たない。彼らはドイツ人のような衝動のみを持つ。感情は内なる痛みであり、それは動物と人間を明確に区別する。感情を認識することは人間の本質の一つである。

ドイツ人の感じの悪さや嫌味なところ、素っ気なく人の気持ちをわかろうとしない(ように見える)のは、本当に仰る通りで、ほぼ同感です。

https://dokurock.exblog.jp/29686592/

実はある意味日本から逃げてこちらにきたのですが、もうすでに今ではドイツが私の性格に全く合わないことにしっかり気づきましたので、精神的負担を軽減し精神的に少しでも充実した生活をするために、人の「心理」と「感情」にもう少し敏感な人たちの暮らす国(例えば、イギリス)に逃げようと真剣に考えています(笑)

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私は、ドイツ人は明らかにアスペルガー的性格の典型だと思っていて、これがここでお話されているようなドイツおよびドイツ人のネガティヴな面を説明するキーなのではないかと思っています。むしろ深く考えれば考えるほどアスペルガーとはドイツ人の性格そのものを意味しているとさえ思えてくるんですが、この点どう思われますか? アスペルガーは基本的に遺伝的な疾患ですので、これが社会との相関関係でゲルマン系において特に多く発生したと考えるのは、科学的に見てもおかしくはないんですが… 実はドイツではアスペルガーが診断されるのはかなり稀なんですが、それは確実にこの性格特徴自体がアスペルガー的社会そのものに隠れて見えにくいからだと思うんです。

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3:感情は否定されるのか

 白人は彼ら自身の感情や性欲を否定してきた。しかし、この信仰では、君は感情や性欲を否定しない。なぜなら、それは君の視界と同じで蟲的世界に住む。

1:基盤としての蟲的世界

 君は蟲的世界を信用する。

 君は物質的世界を信用する→蟲的世界は物質的世界に対応して自動的に作動する→君は蟲的世界を信用する。

 たとえ:蟲的世界は車体のカーナビや家の中のインターホンと同じである。それらは自動的に動くので、君はそれを信用する。君が外界の情報をしるためには、媒介としての蟲的世界が必要とされる。

2:不快と正当性

 君は不快それ自体を正当と認識しない。不快はあくまで基盤である。君が君のカーナビやインターホンの画面に基づいて、君の肉体を操縦するように、君は君の感情に基づいて、君の肉体を操縦する。

 しかし、画面それ自体や感情それ自体は正当性を与えない。それに対して認識される公平性などの概念が正当性を与える。だから、もし君がある種の正当性を君の不快の中に認識するならば、君はその正当性を使って法律を制定する。

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