自由民主制度と議会制民主制度の意味と仕組みとその終わり

 21世紀中に、自由民主制度と議会制民主制度は終わるだろう。その後、君ら東洋人は君ら自身の制度を獲得するだろう。その前に、君らは自由民主制度と議会制民主制度の仕組みとおさらいする。

議会制民主制度の仕組み
  • 大前提
    人間の本質は自由

    →自由は善、つまり正当

    →自由民主政は自由であるので、正当=善

    →選挙権は自由の間接的表現であるので、善=正当

    →議員は自由意志によって選択された人間であるので、彼らは正当=善

    →自由意志によって選択された議員が作成する法律は正当=善である

1:人間の本質とは自由である

 大前提:人間の本質とは自由である。

もし対象xが自由であるならば、対象xは人間である。

 西洋文明は奴隷文明であった。だから、西洋人は人間と奴隷をよく観察して、その違いを考察した。その結果、奴隷は自由でなく、人間は自由であると結論を下した。

自由意志の自由も人間の本質に関係する。この自由が正当性を自由民主制度や議会制民主制度に与えている。自由とは君が奴隷でないことを暗示する。

逆に言うと、もし君が奴隷であるならば、君は自由でない。だから、君はその状態を改善する必要がある。奴隷の意味はたとえ奴隷主が奴隷を殺しても、奴隷は人間でないので、その行為は殺人行為にならないである。

2:自由は良い。不自由は良くない、つまり悪い。

 自由に対する判断:自由は良い。不自由は良くない、つまり悪い。

 自由でないことは奴隷的状態である。君は奴隷的状態を悪いと判断する。もし対象xが自由であるならば、対象xは人間である。だから、自由であることは良い。君みは人間的状態=自由を良いと判断する。

西洋では、良いは善であり悪いは悪である。

3:なぜ自由民主制度が正当性を持つのか

 自由民主制度の正当性:人間の本質は自由である。だから、自由(自由意志)の表現である自由民主制度は正当性を持つ。

ここでの正当性は人類にとって良い=善ことである。

 自由民主制度の正当性は自由意志によって正当化されている。日本人の知の肉便器は奴隷や家畜の概念を認識できないので、彼らは人間の本質や民主制度の意味を認識できない。民主制度はそれほど重要でなく、自由という人間の本質が最も重要である。

自由は善である→自由民主制度では、人間は自由である→「自由民主制度では、人間は自由である」に対して、君はその制度は善であると判断する。なぜなら、人間の本質は自由である。

4:選挙権の意味

 選挙権:選挙権とは人間の権利であり、そこで人間は彼の自由意志を表現する。

 選挙権が与えられた状態では、人間は自由である。君はその状態を善、つまり正当と判断する。なぜなら、人間の本質は自由である。

5:議会や議員の意味

 議会や議員:議員は国民の自由意志によって間接的に選択される。議員は正当な人間である。

 議員は国民の自由意志によって間接的に選択される。この状態では、人間の自由意志が表現されて、人間は自由である。君はこの状態を善、つまり正当と判断する。なぜなら、人間の本質は自由である。

また、議会や議員は人間の自由意志によって選択されたので、議会は正当な会議であり、議員は正当な人間である。誰が正当な議員であり、誰が法律を作成すべきであるかはしばしば問題になってきた。

6:法律の正当性

 法律の正当性:自由意志によって選択された議員が作成する法律は正当である。

 法律は人間の肉体の操縦を定める。法律はしばしば人間の肉体の操縦を制限して、人間の自由意志による操縦を妨害する。人間の本質は自由であるので、自由意志が制限、妨害される状況は悪いと判断される。

では、法律の正当性とは何であるか?それは自由意志によって選択された議員による法律の作成である。自由意志による議員の選択→その議員による法律の作成という過程では、人間は自由である。だから、君はこの過程を善であり、この過程から作成される法律を善、つまり正当であると判断する。

7:自由民主制度の終わり

 以上のように、君は自由民主制度や議会制民主制度が自由を善として設計されてきたことを見てきた。しかし、中国もロシアもイスラム教徒のコーカサス人種は自由を人間の本質とみなしてこなかった。

中国もロシアもイスラム教徒のコーカサス人種の台頭は単なる軍事力や経済能力に関するものでなく、西洋文明の根幹、つまり人間の本質が本当に自由であるかに関係する。この根幹が今現在揺らいでる。

イスラム教徒のコーカサス人種は人間の本質を彼らの神への服従と見る。中国人は人間の本質を中国共産党への服従や歴史や義務や秩序や安定の中に見る。ロシアは正直よくわからない。

8:迷走する西側

 21世紀の西洋は非常に迷走している。なぜなら、西洋人は人間の本質を自由とみなした。その結果、LGBTやヴィーガンなどのわがままとしかいえないような運動が肯定されてきた。その結果、白人への憧れが強い日本人ですら白人のふざけた行動をバカにし始めてきた。

明治維新後の日本人は自由という単語を初めて聞いた時、当時の日本人は自由をわがままとみなしたらしい。西洋人はこの種の日本人をバカにして和買うかもしれないが、俺はその日本人は非常に慧眼であって、現在の西洋を見通していたと審判する。

現在の自由な白人たちはまるで動物のように振る舞う。動物を見ると、彼らは自由に生きて、自由に行動していて、うんこ垂れ流しである。もし動物が自由であるならば、自由は本当に人間の本質であるのだろかう?

 自由は人間と奴隷を区別するが、自由は人間と動物を区別するか?

9:自由は本当に人間の本質であるか?

 現在の西側の白人にとって、最も深刻な問題とは自由が本当に人間の本質であるかである。欧州におけるイスラム教徒のコーカサス人種を見ればわかるように、イスラム教徒のコーカサス人種は人間の本質を自由とみなしていない。だから、西側の白人とイスラム教徒のコーカサス人種が互いに深刻に対立する。

実際、俺は無宗教の東洋人であるが、俺は人間の本質を自由とみなさない。つまり、俺は自由民主制度にも議会制民主制度にも賛成しない。俺は一度も選挙に行ったことがないし、これからもいくつもりがない。

俺は人間の本質を自由でなく、義務と跡始末と分岐とみなす。それらに加えて、秩序や安定や継続が重要である。動物は自由であるが、義務を認識でない。義務は人間と動物を明確に区別するので、義務こそが人間の本質であるように思える。

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