玉井克哉と司法試験に合格した人へのお祝い、法学と大学の問題

 日本国における学者もどきや大学はひどく軽蔑されてきた。s右のつぶやきが本当であるかはわからない。しかし、この種の大学教員は実際に存在して、彼らは訴えられてこなかった。

 さらに悪いことに、上記の真偽不明のつぶやきに対しても、玉木の班のは非常に悪い。彼の反応は殺人鬼の子孫である白人種が作った法律制度の悪用や脅迫に近い。もし彼の発言が本当であるならば、彼の発言は法律を使った悪質なもみ消しと同じである。

 俺が日本人の学者気取りや橋下徹や伊藤和子を見る時、彼らは法律の意味を全く理解していない。彼らは気に入らないものを黙らせるために法律を悪用してきた。ここで、俺は彼らの問題について語ろう。なお、俺は上記の玉木と直接的な面識を持っていないが、俺は日本国民であるので、玉木の契約相手である。

0:法律は何のために存在するか?

 玉木は司法試験に合格した人間に対してお祝いの会の開催を提案した。その行為に対して、とある人物は玉木は女学生を食っているので注意しろとつぶやいた。彼または彼女の行為に対して、玉木は貴殿を訴えますので、実名をどうぞと言って法律を悪用しようとした。

俺は彼らの発言がどこまで正しいかわからない。しかし、研究室における日本人の学者による性的嫌がらせや強姦は長い間隠蔽されてきた。その結果、契約相手である日本国民は彼らを憎んできた。

にも関わらず、玉木は脅すような発言をつぶやいた。もしその人物が学者や関係者でなく元学生であるならば、玉木の行為は非常に悪質である。もしその人物の発言が嘘であるならば、脅す前にきちんと誤解を解くべきである。

それでも、その人物が辞めないならば、玉木は訴えを起こすことをほのめかすことが契約相手によって納得されるだろう。彼の発言は法学者が法律を悪用して性的嫌がらせや強姦をもみ消そうとしているような印象を与える。

1:契約の意味を認識できない弁護士や学者

 俺が上記の玉木の発言を見る時、玉木は契約の概念を認識できないと審判した。学者や日本国民は彼の契約相手であり彼の部下や奴隷でない。性的嫌がらせに関する発言を提示した人間に対して、玉木は訴えをほのめかしたが、玉木は契約の概念を理解できないので、彼は彼の行為の異常性を認識できない。

玉木の行為は性的嫌がらせの疑いを提示した客、つまり契約相手を訴えようとしている行為である。玉木がすべきことは彼が実際に性的嫌がらせをしていないかを調査することである。玉木が性的嫌がらせを提示した客を訴えようとすることの異常性が日本人の学者や弁護士によって審判されていないように見える。

まともな人間は客や契約相手をこのように訴えようとしない。まず調査。

 さらに玉木や橋下や伊藤は現行の法制度や裁判制度それ自体が契約で結びついてることを認識できない。言い換えると、現在の法制度や概念それ自体が人間の合意や納得に基づいている。俺らは現在の法制度を破棄することも可能である。

3:学者や弁護士は「先生」か?職業と義務の欠如

 日本人の学者や弁護士は職業の概念を認識できないように見える。その証拠として、彼らは彼ら自身を先生と呼び合い先生を身分とみなしているように見える。学者や弁護士は職業であり身分でない。

職業は仕事や社会的運動の義務である。しかし、日本人の学者や弁護士は不安を恐れるので、彼らは不安の原因である義務を嫌う。その結果、彼らは学者や弁護士を身分をごまかして安心感を獲得しようとしているように見える。

俺は彼らの言動や行動を見た後、彼らは義務を認識できないと審判した。

4:キリスト教と正当性

 日本人の学者や弁護士の問題点は正当性の概念を認識できないことである。彼らは法律や知識を意味もなく披露するが、それはキッズ・アイドルのセックスの知識と同じである。彼らもキッズ・アイドルも彼ら自身が何をしているかを全く理解していない。

上記の玉木も橋下も伊藤も法律を見せびらかして、知識を披露する。しかし、日本国における法律の概念はキリスト教の概念に依存している。なぜキリスト京都でない俺ら、東洋人がキリスト教的な法律の概念の奴隷として生きなければいけないのか?正当性の概念を認識できない彼らはこの質問に回答できない。

実際、日本人が現在の法律制度を採用してきたのは日本人の白人コンプレックスのあわられである。俺のような無宗教の東洋人にとって、シャリーア法も現在の日本国憲法も同じ宗教的法制度である。俺は現在の法制度も裁判制度もそして大学生ども正当でないと審判した。

 なぜ俺らは殺人鬼の子孫が作った法律の奴隷にならなけばいけないのか?

5:法律の呪文化と内弁慶

 日本人の弁護士や学者は典型的な内弁慶が多い。橋下徹は日本人には高慢であるが、彼は法律で黙らせられない人間を過度に恐れる。だから、彼らは日本人に朝鮮人や中国人、白人と対峙してもらおうとする。

法律の問題は内弁慶を作りやすいである。彼らはサッカーの授業中にたちんぼするキモオタと同じである。彼らは命令するが、相手チームと対峙しないで、ゴールポストの横に突っ立ている。

伊藤和子もそうである。日本人女性が韓国で暴行された後、かの女は沈黙して日本人男性に助けてもらおうと考えていた。なぜなら、伊藤和子は言い返してくる相手や法律という呪文が通じない範囲では何もできない。だから、伊藤和子はロシア人男性による暴力に無関心であるが、日本人男性が同じことをするとヒステリックに騒ぐ。

 この種の「内弁慶問題」は非常に深刻である。まるで未開人の霊言や呪術師と同じである。「大局的な自立」と「対峙」が存在しないので、彼らは呪文化する。言葉を口に出しただけで、人間が動く世界が形成される。まるで実態のない紙幣のように。裏付けとなる行動や金貨が存在しない。

これは差別も同じである。もし君がある人間を差別主義者と呼ぶならば、君はその人間を殴れば良い。しかし、君は殴らない。なぜなら、君は復讐を恐れる、君は恨まれることを恐れる。

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