一般的に、論理は真理と結びつけられてきた。しかし、この信仰では、俺と君は論理を真理としない。論理や科学や数学は「信用」を俺らに与えるが、それらは真理でない。
1:意志と疑いと信用
1:意志と疑い
2:疑いと信用
3:意志と信用
2:単語の付与と行為と認識
1:人間に対する認識の具体例
男性は女性を人間と認識してこなかった。人間の一部は胎児を人間と認識してこなかった。だから、胎児の中絶は殺人行為でなかった。人間は認識に基づいて名前を与えて論理や数学を適用してきた。
人間の認識は行為であるので、紅水陣の侵害によって、君は彼らの認識を強制的に信用させられない。
2:人間に対する付与行為の具体例
女性や胎児が人間かどうかは人間による付与行為の結果である。その後、これらに論理や数字が適用される。しかし、上記と同様に、付与行為は行為であるので、紅水陣の侵害によって、君は彼らの認識を強制的に信用させられない。
3:科学と論理は真理でない
1:女性→人間、胎児→人間は真理でない。
一部の人間は「もしxが女性(胎児)であるならば、xは人間である文は真理である」と主張してきた。しかし、これは間違いである。なぜなら、誰が人間であるかは人間の認識や付与行為に関係するので、(上記の行為と意志、意志と疑いにより)、それらは常に疑われる。
女性や胎児を人間と認識しない種族は女性→人間という論理を女性に適用しない。したがって、その論理は彼らにとって真理でない。
2:世界人口の資料は真理でない。
世界人口に関する資料も真理でない。なぜなら、人口には認識が関係する。なぜなら、誰が人間であるかは人間の認識や付与行為に関係するので、(上記の行為と意志、意志と疑いにより)、それらは常に疑われる。
インド人の一部は下位のカースト制度に位置するインド人を人間と認識しないかもしれない。その時、その種のインド人にとって世界人口に関する資料は間違いである。
また、胎児に対する認識も世界人口に関係する熱心なキリスト教徒は胎児を人間と認識するので、俺らと彼らの世界人口は互いに異なっている。