数学と考える力(思考、審判及び判断行為、宗教と文明と正当性)

ホモ・サピエンス生物種
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 数学と考える力、科学と考える力は結び付けられてきた。しかし、俺らが日本人の数学者や物理学者(菊池誠や大栗博司)を見るとき、彼らは何も考えていないように見える。なぜ彼らは何も考えていないように見えるか?

ここで、俺は思考行為の意味を提示する。思考行為の本質とは審判と判断である。それらは宗教や文明、それらが与える正当性によって形成される。審判は球蹴り競技の審判に近く、善悪の判断は審判の根拠を与える競技の取り決めに類似する。

日本人、特に日本人の学者気取りは宗教や信仰や文明を持たないので、彼らは取り決めのない球蹴りを行う選手のようである。その結果、彼らは引用と記憶行為を繰り返してきた。

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1:考えるとは、思考するとは

 思考行為:思考行為とは審判と判断を下す行為である。それらは宗教や文明、それらが与える正当性によって形成される。

審判と判断はこの世界に存在しないので、君はそれらを論理などで組み立てて整合性を与える。整合性はしばしば間接的な正当性(coherence?)を与える。

 思考までの流れ:宗教や信仰や文明→正当性→正当な審判及び判断→思考行為

1:思考行為

 思考とは「この世に存在しない何か」を取り扱う行為でもある。善悪の判断は自然界に存在しないので、君はそれを思考する必要がある。日本人はこれを苦手として、白人はこれを得意とする。

例えば、男女公平もその公平が良いか悪いかもこの世界には存在しない。だから、人間は公平性を思考する必要がある。しかし、繰り返すように、日本人は思考を苦手とするので、彼らは白人の意見をすぐに引用してしまう。

2:思考行為でない行為

 記憶行為や引用及び実況行為は思考行為でない。日本人の学者気取りや経営者がバカに見えるのは彼らの行為のほとんどが記憶行為と引用行為であり、思考行為でない。彼らは白人の霊言のイタコと同じであり、日本人の大部分は幸福の科学の大川隆法と同じである。

3:論理や証明行為は機械設計に近い

 計算行為及び機械的証明行為は思考行為でない。だから、たとえ学生が数学を学習するとしても、彼らは何も思考できない。計算行為や証明行為は機械の設計に近く、それらは審判や判断行為でない。

2:審判行為と判断行為と組み立て行為

 審判行為:審判行為とはある状態を可能や平等や公平などに結びつける行為である。

 判断行為:判断行為とは審判された対象に善悪や良し悪し、陰陽を与える行為である。

 組み立て行為:組み立て行為とは審判や判断を組み立てて整合性を与える行為である。

1:審判行為

 審判行為とはある状態を可能や平等や公平などに結びつける行為である。例えば、日本人はまともな審判能力を持たないので、日本人は他人をイケメンと審判するが、その真実はデザインの優劣である。日本人はデザインの概念を持たないので、他人のデザインを審判できない。

その結果、日本人はバカに見える。白人がイケメンで、東洋人は不細工でなく、白人の肉体のデザインはより優れていて、東洋人の肉体のデザインが劣等である。日本人の学者気取りですらこんな簡単な現実を審判できないので、バカに見える。

2:判断行為

 判断行為とは審判された対象に善悪や良し悪し、陰陽を与える行為である。例えば、日本人はまともな判断能力を持たないので、アメリカ大陸の多様性を賛美する。しかし、その多様性は君らモンゴロイド人種の虐殺の結果である。

判断能力を持たない人間はまともな歴史を作れない。日本人の政治家も学者も多様性は素晴らしい、アメリカみたいになりたいと感じるので、彼の発言は黒人奴隷を賛美する黒人やナチスを賛美するユダヤ教徒のように歴史的に狂っている。また、判断能力を持たない人間は罰を下さないと、彼らは何も判断できない。

日本人の学者気取りは幼稚であり非常識であると批判されてきたが、彼らは判断能力を持たないので、彼らは彼らの行動を修正できない。俺の印象によると、日本人の学者気取りは批判されても何を批判されているかを判断できないように見える。

3:組み立て行為

 組み立て行為とは審判や判断を組み立てて整合性を与える行為である。

人間の審判や判断は自然界に存在しない。だから、人間は審判や判断を創造した後、人間はそれらを組み立てて整合性を与える必要がある。言い換えると、審判と判断に関する理論を組み立てる必要がある。

そのとき、論理が要求される。君は以上の行為をreasonと呼ぶ。日本人は数理能力や論理能力に関して劣っていないが、審判や判断が狂っているので、日本人は非論理的に見える。日本人の問題点は審判や判断能力である。

3:宗教と文明の重要性と正当性

 宗教や文明の役割:宗教や文明の役割とは審判や善悪の判断の基準を与えることである。

 正当性:宗教や文明は審判や判断に正当性を与える。

1:宗教と文明

 宗教や文明の役割とは審判や善悪の判断の基準を与えることである。例えば、西洋では、キリスト教が西洋文明を与え、キリスト教と西洋文明が正当な審判や善悪の判断を与える。

キリスト教では、神の下で皆平等である。だから、男女平等は正当であり、男女の数が同数でない状態は正当でない状態である。だから、神の意志に従って、男女不平等は正されるべきである。

白人種はこのように思考する。これは寛容や難民や人権にも応用される。日本人は彼ら自身の宗教や東洋文明を失ったので、彼らは引用や実況や記憶行為ばかりで何も思考できない

2:正当性

  宗教や文明は審判や判断に正当性を与える。西洋では、正当性はキリスト教によって与えられる。キリスト教の神が文明を与え、西洋文明や彼らの審判や善悪の判断を与える。

男女平等の平等がなぜ正当化されるのか。なぜなら、神が神の下では皆平等であるといった。だから、雇用や大学の男女の数は同一でなければいけない。平等でない状態は神の意志に反するので、その状態は悪い。

白人種は宗教に関して非常に真剣であり、下記の日本人の学者気取りのように雰囲気で生きてこなかった。白人種は雰囲気で生きてこなかった

3:愚かな例

 日本人の学者気取りのバカさは左や上の画像に表現されている。男女平等の「平等」はキリスト教の概念であるが、彼らはそれを認識できないように見える。結局、日本人の学者気取りは文明や宗教の概念を認識できない。

その結果、彼らは世界のあらゆることを雰囲気や白人の霊言で処理してきた。だから、白人が多様性といえば、多様性、白人が二重国籍といえば、二重国籍。彼らの発言には正当性が存在しないし、彼らは宗教や文明が与える正当性の概念を認識できない。

だから、大栗もミシガン大学のwillyも立川裕二も彼ら自身の宗教や文明の要性を判断できない。大栗もミシガン大学のwillyも立川裕二も正当性の概念を認識できないので、彼らはものごとを考えるのを苦手としているように見える。言い換えると、彼らは学者であるのに、何も考えれないように見える。

全然わからない 俺たちは雰囲気で政治をやっている
そういうとこだぞ

おまけ:文明や宗教は歴史を創造する

 創造の流れ:宗教や信仰や文明→正当性→正当な審判や善悪の判断→歴史の創造

 上記で述べたように、もし日本人の学者気取りが多様性を良いと判断するならば、彼らは彼ら自身の歴史を失うだろう。俺はアメリカ大陸における多様性や混血の状態を悪いと判断する。だからこそ、俺は俺自身の歴史:つまりアメリカの状態は悪いので改善されるべきという歴史を作れる。

日本人の学者気取りや政治家気取りはアメリカの状態を良いと判断するので、アメリカみたいになりたいと感じて日本国や日本人をアメリカやアメリカ国民(白人)みたいにしようとする。しかし、アメリカ大陸の多様性は俺らの一派の虐殺や絶滅の結果であり、彼らの行為は家畜が家畜業者になりたくて、家畜屠殺場に行くようなものである。

この感じ動作は白人の遺伝子に乞食しようとするフィリピン人ににている。フィリピン人は白人の遺伝子に乞食して白人になろうとするが、彼らは何かを思考してるつもりになっている。なぜなら、フィリピン人は彼ら自身の宗教や文明を持たないので、彼らは思考できない。

 フィリピン人の思考もどき:フィリピン人貧しい→白人お金持ち→肌の色を白くすればお金持ち+ちやほや→白人と結婚して中間種を生む→肌の色が白くなりお金持ち→だから、白人男性と結婚しよう。

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