リスク(risk)を取る?危険と損害と可能性

商い
https://twitter.com/otona_bijyo?lang=ja

 リスクという単語はイケメンと同様に雑に使用されてきた。日本人の大部分はリスクの意味を認識できない。riskは危険と訳されるが、俺はriskを損害可能性と訳する。

だから、損害可能性を取ることは日本語として狂っている。重要なことは「利益/損害可能性」の値を上昇させることである。君がお金を動かす時、損害可能性が0であることはほぼないはず。

1:危険とは:危険と損害と借金

 経験則:君が利益を獲得したいとき、危険がつきものである。言い換えると、危険なしに利益を獲得することは難しい。

1:危険

 危険に対する俺の印象は地雷原や猛獣のいる森である。日本語における危険はriskでないように思える。君が地雷原や猛獣の森を通過した後、君はお宝を獲得できるだろう。日本語における危険(danger?)はこんな感じである。

俺は商業には危険は不要であると審判する。日本人が危険を使用する時、俺は地中海人種や白人種の大航海時代を連想する。彼らは文字通り危険を冒したが、その精神は宗教的なものであり、商業的なものでない。

つまり、危険は宗教的な情熱に関係する。一方、商業は危険でなく主に損害に関係する。なぜなら、俺らが商業活動に従事する時、俺は地雷原を通過してお宝を獲得しようとしない。

2:損害

 損害に対する印象は失ったお金や資産である。損害は動かしたお金がきちんと回収されなかった状態である。例えば、君が100円を動かしたが、動かした100円が100円+αとして戻ってこなかった時、損害が発生する。

例えば、君は毎年x円を家に収めて生活費にしなければいけない。しかし、損害yが生じてx-y円となり、x-y円では生きていけなくなった(少し苦しくなった)。その時、この状態は損害である。

3:借金

 俺の印象では、借金は危険でなく損害に近い。借金することは危険でないが、返せない場合、深刻な損害が君を襲う。しかし、もし君が借金を容易に返済できるならば、借金することは損害にならないだろう。

2:損害:自然的損害と人工的損害と機会的損害

1:自然的損害

 自然的損害には、災害が存在する。台風や津波や地震が自然的損害である。火災も自然的損害に分類する。

自然的損害では、資産が失われるだけでなく、返済能力の喪失や資金の回収能力の喪失も存在する。

2:人工的損害

 人工的損害は価値観に関するものである。例えば、西洋ではキリスト教的な男女平等が正当であるので、男女平等に反対することは人工的損害になる。なぜなら、炎上が発生する。

俺は株式に無知であるが、炎上する時、株価が下落する。だから、俺はそれを人工的損害とみなす。

3:機会的損害

 貧困層が若い時、彼らは勉強しない。その結果、彼らは機会的損害を被っている。勉強機会の放棄は機会的損害であるように見える。

3:可能性:損害可能性

 可能性:可能性とは、もしある人間はある行為をする意志を持つならば、その人間はその行為をすることができる状態である。または、可能性とはある状態であり、その状態ではもしある人間はある行為をする意志を持つならば、その人間はその行為をすることができる。

 能力:能力とは、もしある人間がある行為をする意志を持ち、かつ条件が整うならば、その人間はその行為をすることができる状態である。

 潜在能力:潜在能力とは訓練が施される前の能力である。訓練がされた後、潜在能力は能力に変化する。

1:簡単なまとめ

 流れ:潜在能力→(訓練)→能力→(条件)→可能性→能力の発言

2:損害可能性とは?

 損害可能性という時、君は自然現象を思い浮かべる。しかし、俺は損害可能性のすべてを人為的現象と認識する。なぜなら、何もしない行為も一つの行為であり、何もしない時(勉強しない、災害対策を取らない)、損害可能性が上昇する。

君が資産を保有する時、それを動かすまたは動かさないにしろ、損害可能性は常に存在する。だから、君はその損害可能性を最小限にしたい。リスクは取るものでなく、回避するものであるように思える。

おまけ:保険:保険は人間の不安から生まれたかも

 保険の近代的概念は危険や短期的利益を好むコーカサス人種から生まれた。東洋人は維持や安定を重視するので、損害可能性をゼロに近づけようとする。一方、コーカサス人種は社会や文明の維持を軽視するので、彼らの文明は崩壊してきた。

タイトルとURLをコピーしました