人誅と人誅的精神、それに伴う後始末及び責任

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 人誅:人誅とは、以下の精神?の下で人間が人間を罰する行為である。

 この信仰では、君は人誅を採用する。人誅は罰の一種である。人誅では、君は神の下での裁きや罰でなく人間の意志を読み取りそれにしたがって罰を与える。

西洋では、罪と罰は関連付けられてきた。しかし、この信仰では君は罪の概念を採用しない。だから、君は罰の与え方を独自に創造する。

俺は白人(イギリス人やドイツ人)のあまりの無責任さを見た後、俺は人誅を思いついた。

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0:人誅的精神

 自然界(機械的世界)の劣等さ:近代における西側の白人種は俺らモンゴロイド人種を虐殺、抹殺してきた。にも関わらず、彼らは自然界によって罰されていない。

だから、俺らは自然界の劣等さを憎悪して、絶滅させられたアメリカモンゴロイド人種に代わり、彼らの亡き意志を読み取り人誅を下す。この行為は劣等な自然界の劣等さを穴埋めしてより良い世界を形成する。

 自然界は劣等であり、君はその自然界を憎悪する。たとえ君や君の家族が虐殺されるとしても、自然界は殺害者を自動的に罰さない。にも関わらず、自然界は地震や災害で君や君の家族を虐殺する。

土人は自然界を美しいと賛美する。しかし、君は君や君の家族を虐殺してきた自然界を憎悪する。たとえ西側の白人は俺らモンゴロイド人種を虐殺するとしても、自然界は彼らを自動的に罰してこなかった。

なぜなら、自然界とは君が最も憎悪すべき対象である。

1:人誅(損害型と後始末型と照合型)

 損害型人誅:損害型人誅とは君が損害を被る時に下す人誅である。

 後始末型人誅:後始末型人誅とは君が他人の行為の後始末をつける時に下す人誅である。別名:肩代わり型人誅

 照合型人誅:照合型人誅とは文字との照合によって下される人誅である。

 君は東洋人であるので、君は損害型及び後始末型人誅を採用する。照合型は西洋的であるので、状況に応じて採用する。例えば、インド人が家族の遺体をインドで食べるとしても、君は人誅をインド人に下さない。

2:方法(手続き)

 破壊と痛みと罰:機械的対象には、破壊を。動物的対象には、痛みを。人間的対象には、人誅を。

 自然界の肩代わり:君が人誅を下す時、君は劣等な自然界の肩代わりとして下す。だから、例えば、ある人間が誰かを殺したあと、その人間が災害で死ぬ場合、君は人誅を下さない。

 意志の読み取り:君が人誅を下す時、被害者の意志を明確に読み取り人誅を下す。

3:後始末型人誅における後始末及び責任

 後始末型人誅における後始末及び責任:君は後始末型人誅にともなう後始末や責任を一切追わない。初期状態に戻す過程での犠牲や損害の賠償をしない。もし彼らが犠牲や損害を嫌うならば、彼らは後始末を彼ら自身でつける。

俺らがボケ老人のうんこを片付ける時、俺らはその片付けの過程で生じた損害や犠牲はそのボケ老人が負うべきであると審判する。俺らはボケ老人の行為の肩代わりをしてやってる。

 例えば、南北アメリカの多様性は俺らモンゴロイド人種の一派の絶滅の結果である。俺らはその状態を悪いと判断して、初期状態に戻すべきであると審判する。もし俺らが後始末型を下すならば、その過程で大きな犠牲が生じるだろう。

しかし、俺らは犠牲や損害の賠償を行わない。もし人間が犠牲や損害を嫌うならば、彼らが彼ら自身で初期状態を形成すべきである。近代における西側の白人、特にイギリス人は紛争の種を世界中にばらまいてきた。

にも関わらず、彼らは何の後始末を行ってこなった。ビルマにおける民族紛争もイギリス人のせいである。しかし、彼らは後始末を行っていない。彼らはうんこ垂れ流しのボケ老人と同じである。

 俺らがボケ老人のうんこを片付ける時、俺らはその片付けの過程で生じた損害や犠牲はそのボケ老人が負うべきであると審判する。

おまけ:人誅の必要性

 西側白人種は世界をごちゃごちゃ荒らして民族構成や人種構成を変化させて、なんの責任も後始末も取らない。だから、俺らは世界を初期状態に戻すとき、俺らはその過程で生じた犠牲や損害の賠償を一切追わない。現在の悪い世界を作った西側白人がその状態の犠牲や損害の賠償を行う。

これは西側の白人との中間種にも言える。彼らはなぜか日本人や日本国に依存しつつ、日本人や日本国をアメリカみたいにしようとする(アメリカ好きならアメリカで生活しなよ、、、)。しかし、彼らはたとえ日本国や日本列島がめちゃくちゃになっても、彼らは日本から逃亡して何の責任も後片付けも後始末もしないだろう。

この種の人間は部屋をめちゃくちゃに荒らすとしても、彼らはその後片付けをして、部屋を初期状態に戻さない。だから、俺らは部屋や世界を初期状態へと戻す。上記の人間がやらないので、俺らは部屋の後片付けを代わりに行う。しかし、その際に生じた犠牲や損害のすべてはめちゃくちゃにした人間が支払う。

刑罰と宗教(信仰)

 この信仰では、君は罪と罰を採用しない。なぜなら、この信仰者は罪の文明である西洋文明でなく、東洋文明の所属員である。東洋文明は礼と罰の文明である。君はこの信仰を礼と損害と人誅と罰の信仰を認識する。

 刑罰と宗教は密接に関係してきた。西洋では、罰の手続きはキリスト教に基づいて行われてきた。西洋では、罪という概念が定義されて、罪を犯した人間が罰されてきた。

菊池誠のような物理学者は彼自身を無宗教と主張してきた。しかし、無宗教の人間はどのような手続きや正当性の下で他人を罰するかを提示しない。実際、菊池は無宗教でなく宗教を認識できない動物であるので、彼は彼自身を無宗教と呼ぶ。

一般的に、無宗教や仏教徒を罪の概念を用いて罰することは宗教的侮辱である

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