審判と判断とそれらの肉体の操縦への結合

俺らの信仰
家紋 wikipedia

 ここで、俺は審判行為と判断行為に関する君の肉体の操縦法を提示する。その後、俺はそれらを君の肉体の操縦に結合させる方法を提示しする。なお、ここで、君は君の肉体を車体と想像する。

日本人の学者気取りは非常識と批判されても、彼らはその非常識さを改善しようとしてこなかった。なぜなら、彼らは善悪の判断を下せない、かつ彼らは善悪の判断を肉体の操縦に結合させれない。そこで、俺は以下の信仰を提示する。

1:審判

 審判:審判とはある存在や状態、運動(行為)に対して二次的階層に住む単語を対応させる行為である。

 例えば、ある道が存在するとき、君はその道を「危険」と審判する。この行為が審判行為である。

2:判断

 判断:判断とは、ある存在や状態、運動(行為)に対して三次的階層に住む単語を対応させる行為である。

 例えば、ある道が存在するとき、君はその道を「危険」と審判する。この行為が審判行為である。

その後、君は危険を悪いと判断する。この行為が判断行為である。

3:判断の肉体の操縦への結合

 かちる:かちるとは判断を肉体の操縦へと結合させる行為である。君が何かを何かに結合させる時、カチっと音がなる。これがかちる行為の由来である。

 道→安全(審判)→(安全→良い)→(良い→進む行為)→かちる→進む行為の実行。

タイトルとURLをコピーしました