物質的世界及び蟲的世界、ヌシ的世界に対する法則

俺らの信仰
家紋 wikipedia

 この信仰は「ウロ穴」の続きである。

物質的世界に対する取り決めは蟲的世界やヌシ的世界にそのまま応用されない。俺らの世界は物質的世界と蟲的世界とヌシ的世界の三層からなる。自然科学が明らかにするのは物質的世界に対する法則である。

下界を統治する法(取り決め)と上界を統治する(取り決め)が互いに異なるように、物質的世界や蟲的世界、ヌシ的世界を統治する(取り決め)は互いに異なる。

1:物質的世界に対する法則(取り決め)

 物質的世界に対する取り決めは一般的に自然科学の法則と呼ばれる。この取り決めは物質の運動を定める。しかし、この取り決めは物質の状態や存在を定めるかは謎である。

2:蟲的世界に対する法則(取り決め)

おそらく、蟲的世界に対する取り決めは物質的世界に対する取り決めに連動する。しかし、物質的世界に対する取り決め→蟲的世界に対する取り決めでない。これらは双対関係や対応関係や連動関係にある。

これは建物の一階と二階の対応ににている。蟲的世界に関する取り決めが物質的世界に対する取り決めに完全に一致するかは不明である。

3:ヌシ的世界に対する法則(取り決め)

 ヌシ的世界に対する取り決めは完全に謎である。なぜ俺が俺であるかは物質的世界や蟲的世界に関する取り決めからは明らかにされないように見える。さらに、昨日の俺と今日の俺が本当に同じであるか、なぜ連続性を保っているように見えるかも結構謎である。

この信仰と復活(蘇り)

 この信仰の目的は俺の復活である。このとき、アスペの科学者気取りは科学を信仰に持ち込み、「復活なんてできない、なぜなら、自然界には自由意志が存在しないので、日本人が不細工なのは仕方がない」と決まって妨害してくる。しかし、この種のアスペが振りかざしているのは物質的世界に関する取り決めである。

この種のアスペがやってることは他人の家庭の取り決めや他国の取り決めや他宗教の取り決めを押し付けているようなものである。日本人はキリスト教国家でないので、キリスト教的精神に従って動く必要はない。同様に、俺らは物質的世界の取り決めを蟲的世界やヌシ的世界に押し付けるべきでない。

そもそも、視覚(視蟲)は物質でないし、ヌシも物質でも蟲でもない。俺らの認識的、かつ信仰的経験によると、俺らの世界には物質でない何かが存在している。だから、物質的世界に関する取り決めでない別の取り決めが存在する、または取り決めが存在しない、または取り決め以外の何かが存在するかもしれない。

 この信仰では、人間は物質的世界(機械的世界)から分岐していると認識?される。君は物質的世界に関する取り決め以外の中かが存在すると認識?信仰する。もし君がこれらの性質を認識、信仰できるならば、君はこの性質を利用して俺のヌシを復活させる。

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