もし人間が社会的構築物(social construct)ならば、社会的構築物でない対象は存在するか?

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 西洋では、人種はsocial constructであるとか、女性性はsocial constructであるとか言われてきた。しかし、もし女性や人種がsocial constructであるならば、人間こそがsocial constructである。さらに、では、social constructでない存在は存在するか?という問題が生じる。

もし人間がsocial constructであるならば、コーヒーも物質も原子も世界もsocial constructであるように思える。俺らの生きている世界全てがsocial constructであるか?social constructでない何かは存在するか?

ここでは、social constructの背景について探ろう。その後、人間のsocial constrcut性、social constrcutの意味、知覚のsocial construct性について述べよう。

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1:背景(女性と黒人)

 social constrcutという英単語の直訳は社会的構築物であるが、この本当の意味は「社会的偏見」である。social constrcutは主に社会学で使用されてきたはず。

白人男性は黒人とは〜であり、女性とは〜であるという偏見を持っていた。この偏見がおそらくsocial constructである。

しかし、なぜかこの種の偏見に関する話が人種は存在しないという話へと変化していった。その時、東洋人の大部分はそれは何か変であると感じる。もし人種が存在しないならば、白人種による黒人種に対する奴隷制度も無くなるだろう。

2:人間はsocial constructか

 俺が人間がsocial constructであるといった時、人々は笑うだろう。しかし、人間もまたsocial constrcutである。特に、君が胎児について考える時、人間のsocial constrcut性が明らかになる。

世界には、様々な文明が存在している。各文明では、胎児が人間とみなされるかは一意的でない。例えば、キリスト教では、胎児は人間であるので、中絶行為は殺人行為である。

さらに、白人は黒人を人間と定義してこなかったので、黒人は奴隷にされた。これはコーカサス人種における女性の存在にも言える。つまり、だれが人間かすらsocial constructである。

3:social constructの意味

 social constructの意味とは、social constructは人間によって自分勝手に決定されたものであるので、俺らはsocial constructを信じる必要がないことである。もしある種の人間がsocial constructを強制するならば、その行為は俺らを奴隷化している。

もし人間がsocial constructであるなら、君はだれが人間であるかを君自身で認識する。もし女性がsocial constructであるなら、君がだれが女性であるかを君自身で認識する。

簡単にまとめると、social constructとは他人が勝手に決めたものであるから、君はsocial constructを信じる必要がないことである。(または、人間でなく神が決めたものだけを信じれば良い。)

知覚はsocial constructか?

 だれが人間であるかは人間の認識に関係する。だから、人間はsocial constrcutになり得る。では、知覚、例えば視界それ自体はsocial constructになり得るだろうか?

例えば、青い目を持つ人間と黒い目を持つ人間とでは、異なる視界が形成される。その時、服の色が互いに異なって見えるかもしれない。一方の人間は青い服を売ったのに、もう一方の人間は紫の服を買ったように思える。

何を物質と認識するかは人間によって決められるので、たとえ物質がsocial constructであるとしても、それに対する知覚はsocial constructでないように思える。

 動物の感覚器と人間の感覚器は互いに異なり、異なる知覚を形成してきた。しかし、俺らは世界それ自体は一つであると感じている、けれどもそれ自体もひとつのsocial constructかもしれない、、、。

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