歴史における二重責任と被害者と依存者

俺らの信仰
家紋 wikipedia

 ここでは、中間種に対する歴史における責任について述べる。

 二重責任:二重責任とは、もしxが中間種であるならば、中間種は両方の先祖に関する二重の責任を負う状態である。

 多重責任:多重責任とは、もしxが不明な交雑種であるならば、xが人類のすべての行為の責任を負う状態である。

 君が中間種を見る時、彼らは彼らの半分、日本人やイギリス人を使い分けて歴史的な義務や責任から逃れようとする。彼らはどんな社会やどんな国家やどんな文明でも常に被害者であろうとする。言い換えると、彼らは日本人やイギリス人を加害者としし侮辱する。

これは中南米にも応用される。ごちゃごちゃ混血して、自分が何人かすらわからない人間が歴史的義務や責任を負えないので、彼らは常に被害者ぶる。彼らは彼ら自身が絶対に批判されない立場に常に彼らの身を置こうとする。

俺はこの状態を不公平と審判する。この信仰では、公平は正当な状態であるので、この状態は改善されるべき。解決案が上記である。もし人間が上記を嫌うならば、混血しなければ良い。

 被害者に関する取り決め:もしxが常に被害者であるならば、xは人間でない。

 被害・加害関係は非常に難しい。しかし、ある種の人間集団が常に被害者であることはあり得ない。人間は生きているだけで、加害者にも被害者にもなり得る。

加害者になり得ない人間はもはや人間でない。彼らは物質と同じである。動物ですら、加害者として復讐される。

 依存者に関する取り決め:もしxが被害者であるならば、xは依存者である。

 俺の父親は家庭で被害者ぶらなかったが、母親はつらい、大変と常に被害者ぶってきた。俺は俺の父親を家庭の維持者かつ外部との対峙者であると認識してきた。なぜなら、彼は大局的に自立していた。

俺の母親は家庭に依存してきたので、彼女は常に被害者ぶってきた。なぜなら、被害者ぶっても生きていけた。被害者ぶる人間は常に誰かに依存して負担を与え続けてきたが、その負担と損害に関する賠償を支払ってこなかった。

中間種や女や日本人の学者気取りが常に被害者ぶるのは彼らは依存者であり続けてきた。白人との対峙のすべてを中間層の日本人にやらせてきた。まるで俺の父親のように。だから、俺の母親も彼らも被害者ぶってきた。俺は彼らを同じ人間として尊敬しない。彼らは軽蔑に価する動物である。

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