死生観と裏切り

俺らの信仰
wikipedia 家紋

 全ての人間は死なずに幸せに生きることはできない。戦争が発生すれば、誰かが必ず犠牲になる。健全な社会を獲得するためには、誰かが犠牲にならなければいけない。

では、誰が犠牲になるのか?この問題に回答するためには、宗教が必要である。俺はお金で傭兵になって死にたくない。

どうせ死ぬならば、俺は俺の信じる何かのために死にたい。それは愛する女性のためでない。それは何かを守るためでない。

基本的な死生観

 基本的な死生観:信仰のために死んでくれ。絶対に復活させる。

 この信仰では、君はヌシの復活を信仰する。だから、君の命は漫画:ドラゴンボール並みに軽い。命の貴重さはその一回性にある。

もしこの世界が偶然生まれたならば、俺らの世界は貴重である。もしこの世界が必然、または神の意志であるならば、俺らの世界は正当である。もしこの世界が確率的であるならば、君は運が良い。

イスラム教徒のテロリストは彼らの神のために死ぬように、君も信仰のために君の命を一度投げ捨てる。その代わり、信仰者は投げ捨てた同胞の命を何が何でも復活させよ。君は彼らを裏切ってはいけない。

 信仰者の命の値段:信仰者はヌシの復活を信仰するので、信仰者の命は安い。

 君はどんな犠牲を払っても、この信仰の目的を達成する。君は君の命を投げ捨てることを恐れない。なぜなら、君は君のヌシの復活を信仰する。

命が安いことは君はこの信仰を信じていることである。

 裏切り:裏切りとは君の子孫が俺のヌシを復活させれない行為である。

 俺らが生き続ける限り、多くの犠牲が生じる。君は彼らの遺志を裏切ってはいけない。これは契約でない。これは人間らしい感情の問題である。

この信仰では、以心伝心や心のつながり、ヌシ同士のつながりを重視する。西洋的に言えば、それは「愛」である。契約は未来における信用(機械的)であるが、心のつながりは信頼である。

君は俺のヌシを知覚できない。君は俺のヌシを認識できない。君は俺のヌシを信仰する。俺と君は信仰でつながっている。

 裏切り:裏切り行為は最も悪い行為のうちのひとつである。

 信仰者は信仰のために彼らの命を投げ捨てる。なぜなら、彼らは彼らのヌシの復活を信仰する。君はこれを絶対に裏切らない。

裏切は失礼で非礼で無礼である。故人の遺志を踏みにじる行為である。裏切は神に対する冒涜に等しい。

 取り決め:もしxが死ねない人間であるならば、xは君によって信頼されない人間である。

 死ねることと正当性:もしxが死ねる人間であるならば、xは統治や権力の正当性を持つ人間である。

 簡単に言うと、死ねない人間を信頼するな。この死ねるは国家の運営や軍隊において重要になる。君は真理を主張する人間を、資料を提出する人間を、そして能力を持つ人間を信頼しない。君は死ねる人間を信頼せよ。

この死生観の使い方

 この信仰の目的は復活である。例えば、君の子孫が宇宙に旅立つ時、彼らは保険のために、集団を二つに分けなければいけないかもしれない。しかし、そのとき、その集団は遺伝的に異なる集団となるだろう。

この信仰の目的は分岐である。だから、遺伝子的に分岐された集団は(特別な事情がない限り)交わらない。だから、片方の集団はゆっくりと自殺するか、または集団に吸収されるかである。

一般的に、一方の集団は死ぬことを嫌う。なぜなら、一方の集団もまた信仰に生きてきたのだから。だから、この信仰における復活(蘇り)が一方の集団の一旦の死を正当化する。

 そのとき、行き残る集団、つまり「生存の正当性」を持った集団は俺のヌシを復活させることができる集団である。

タイトルとURLをコピーしました