この信仰では、君は適切な根拠に基づき神を信じない。
コーカサス人種は彼ら自身の視界と世界を区別できない。その結果、彼らは有神論者であったように見える。彼らは彼らの視界を世界それ自体と認識する。
だから、コーカサス人種は彼ら自身と神との関係のみを重視してきた。しかし、東洋人はそのように考えない。東洋人は彼ら自身の視界と世界を区別できる。
俺らが信じるべきは世界の造り主たる「神」でなく、物質的世界と蟲的世界から分岐された「他者」である。東洋人には、抽象的な神は馴染まないので、君は現実的な「他者」を信仰せよ。当然、この他者には、君の先祖も含まれる。
存在しているのは現在の君の視界であるので、君の先祖は信仰される対象である。君は神でなく、他者のヌシや君の先祖を信仰せよ。
→「他者とは何か」
他者のヌシは物質でないので、君はそのヌシを信仰する必要がある。君は神を必要としない。君は他者のみを信仰する。
なぜなら、ヌシは物質的世界から分岐された主体である。分岐大原則によって、ヌシは正当化される。
正当化を省略する。分岐大原則と渇望大原則と信仰の目的によって正当化される(はず)。
この信仰では、信仰者以外のヌシを復活させない。しかし、異人種や異民族や女性でも、君は彼らの遺志の実現を約束や契約に基づいて果たす。繰り返すが、この信仰は世界で最も閉鎖的である。