徳仁天皇は皇帝か法王(教皇)か?日本史における権威と権力の二重性

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要約 

 天皇は皇帝でなく法王や教皇である。皇帝とは権力の象徴であるり、法王は権威の象徴である。日本国における皇帝は将軍であって、その政治体制は権威と権力の両輪性(二重性)であった。

 俺は天皇陛下に興味を持ってこなかった日本人であった。俺が即位礼正殿の儀を見た後、日本国及び天皇陛下の独特さを感じた。そして、この独特さは日本人及び日本国の自己認識、つまり日本人の文化的顔を作りかげてきた。

海外では、天皇はemperorと訳されてきた。しかし、俺は天皇は皇帝でなく、法王や教皇であると審判する。日本史における皇帝は幕府の将軍であり、その代表例が徳川幕府である。

皇帝は権力であり、法王や教皇は権威である。権威には、宗教や学問や貴族、教師が存在する。権威が安定を社会や文明に与え、正当性をめぐる争いに終止符を打ってきた。

 さて、日本史における天皇の存在を勉強する前に、君は「正当性」という概念を学ぼう。この正当性は王様や王の王である皇帝、そして天皇に関係する。

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王様とは何か?統治の正当性

 :王とは民を統治する人間である。正確には、王とは民を統治する「正当性」を持った人間である。

 正当性:正当性とは納得される共通認識や合意を民に与える性質である。

 統治の正当性を与えるもの:血統、宗教、文明、選挙、軍事など。

 日本人の一部は王を「偉い人」と感じてきたが、その感覚は間違いである。王とは民を統治する「正当性」を持った人間である。

物質的世界には、善悪の判断や統治の正当性が存在しない。だから、人間はそれらを人工的に創造する必要がある。しかし、そのとき、正当性をめぐる争い(お家騒動)が発生する。

実際、男女平等が正しいか、男女公平が正しいかはこの世界には存在しない。だから、西洋では、キリスト教が男女平等の正当性(神の下では皆平等)を与えている。統治者の正当性も同じであり、誰が民を統治すべきかという統治の正当性はこの世界に存在しない。

 だから、人間がそれを創造しなければいけない。

 統治の代表的な正当性は王族や貴族、要するに血統である。アメリカ合衆国では、それは選挙による統治者の自由な選択であった。他にも、軍事力による勝利(モンゴル帝国や大英帝国)や宗教的指導者(神のイタコ、ローマ法王)が統治の正当性を与える。

まとめ

 物質的世界には統治の正当性が存在しない→人間は社会組織や文明を形成したい→人間がそれを人工的に創造する→正当性をめぐる争いが生じる→宗教や血統や軍事や選挙が統治の正当性を与えた→社会秩序が維持された。

王の乱立と皇帝の発生

 皇帝:皇帝とは王たちの王であり、皇帝は王たちを統治する正当性を持つ。皇帝は権力の象徴である。

 王の数が二つ以上であるとき、統治の正当性をめぐる争い(お家騒動)が生じる。だから、人間は王たちの王、つまり皇帝を作り出し、統治の正当性を与えた。対立状態が存在するとき、一方がもう一方を破壊するか、二者の上に皇帝を作るかが対立状態の解消である。

秦の始皇帝はまさに皇帝であった。周王朝の崩壊の後、中国大陸には、王様が乱立して、統治の正当性をめぐる対立状態(春秋戦国時代)が生じた。その後、秦始皇帝は王の王、つまり皇帝になった。

そのとき、秦の始皇帝は中国大陸を統治する正当性を軍事的な勝利によって獲得した。ただし、秦の始皇帝による統治は短期間(15年)であった。

皇帝(王)と権威と権力

 権威:権威とは統治の維持の正当性を与える不思議な力?である。

 権力:権力とは民を統治する力である。

 経験則:皇帝による統治は何らかの権威を必要とする。言い換えると、皇帝の権力のみによる統治は継続しないので、権威の需要が必ず発生する。

 その権威とは、宗教(キリスト教など)や血統(天皇)や文明(孔子の言葉)や歴史(中国史)である。

 軍事能力による勝利は短期的な統治の正当性を与える。しかし、秦の始皇帝のように、軍事的勝利による統治の正当性は統治の維持の正当性を与えないので、短期的に崩壊しやすい。だから、皇帝はなんらかの権威を必要とする。

これはローマ帝国の崩壊後の、ゲルマン民族にも応用される。ゲルマン民族はローマを破壊して軍事能力による統治の正当性を獲得できた。しかし、彼らは統治の維持の正当性を獲得できないと考えただろう。

だからこそ、ゲルマン民族の王様は権威の象徴たるキリスト教を必要とした。その結果、ゲルマン民族による欧州の統治は現在までも継続してきた。

日本国における皇帝とは何か?

 日本国における皇帝:日本国における皇帝は徳川幕府の皇帝に近い。それは明治維新という日本史上の大失敗によって破壊された。

将軍は権力の象徴

  各藩を王国とみなすと、各王国を統治するのが幕府、つまり徳川家であった。そして、将軍は高い軍事能力や軍事的勝利による統治の正当性を持っていた。

天皇は権威の象徴

 天皇は権力の象徴でなく、権威の象徴である。簡単に言うと、総理や軍隊に統治の維持の正当性を与えているのは、権威の象徴たる天皇の存在である。日本国では、天皇の存在はキリスト教や孔子の言葉が擬人化のようなものである。

中国は権力と権威が一体化している

 権威と権力の一体性:権威と権力の一体性とは、権力者(皇帝)が権威及び権力を持っている状態である。

 権威と権力の両輪性(二重性):権威と権力の両輪性とは、権力者と権威者が分離された状態である。

中華は権威と権力の一体性

 中華では、権威と権力が一体化しているように見える。中国では、王朝それ自体が権威であり、かつ権力を持っている。その結果、その王朝が暴走するときは、どこまでも暴走して悲惨なことになる。

実際、現在の中国共産党も権威と権力が一体化しているように思える。

日本国は権威と権力の両輪性

 日本国では、権威と権力が分離されてきた。天皇は権威であり、将軍は各藩を束ねる皇帝であった。たとえ将軍が軍事能力によって日本国を統一するとしても、もし権威の象徴たる天皇が存在しなかったならば、将軍による統治は継続してこなかっただろう。

じゃあ、アメリカは?

 アメリカの権威:アメリカの権威はキリスト教であった。

 アメリカの権力:アメリカの権力は大統領であった。

 アメリカの政治体制:アメリカは権威的存在(天皇や法王)が存在しない。

 アメリカの権威(正確には、権威っぽいもの)はキリスト教であった。そして、アメリカの権力は大統領であった。大統領は血統でなく、国民の自由意志による投票行為によって選択された。

そして、この自由意志による投票行為が非世襲的な皇帝(権力)の正当性を与えてきた。アメリカ合衆国の大統領は軍事的な勝利によって血統的に形成された人間でなかった。

ただ、アメリカの権威は実質的にはお飾りと同じである。なぜなら、アメリカの権威たるキリスト教は統治の維持の正当性を大統領に与えていない。権威の役目は統治の維持の正当性を与えることであるが、アメリカでは、権威が機能していない。

 だから、アメリカ合衆国は権威の欠如のために不安定化して、崩壊するだろう。

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