分岐世界観〜この信仰[俺らについて]の世界観〜

俺らの信仰
https://ja.wikipedia.org/wiki/伏羲

 この信仰では、君は以下のような世界観を信仰する。この信仰の目的は分岐であるので、君は世界に対する分岐世界観を採用する。信仰における世界観は人工的な空間(状態)を創造する。

俺は人工的な空間を創造しよう。その後、俺はその空間の中に、人間の本質という空間の構成要素(存在)を創造して導入する。

多くの神話や宗教では、世界観の構築が重要であった。たとえば、神が世界を創造して、神が人間を創造した。または、人間は泥から生まれた、ビッグバン及び科学法則によって構成されたなどである。この信仰では、世界(物質的世界)も人間(ヌシ)も分岐によって生まれてきたと信仰される。

1 分岐世界観

 共通認識 分岐世界観とは、世界は分岐によって生じてきた世界観である。ここでの世界とは、物質的世界と蟲的世界とヌシ的世界の三重の世界である。

 物質は無から分岐した。蟲は物質から分岐した。ヌシは蟲から分岐した。現在の世界は物質と蟲とヌシの三重の世界である。

物質は機械に対応して、蟲は動物に対応して、ヌシは人間に対応する。その時、機械は無から分岐して、動物は機械から分岐して、人間は動物から分岐した。

物質は物質的世界を形成して、蟲は蟲的世界を形成して、ヌシはヌシ的世界を形成した。物質的世界の特徴は自動的(信用)であり、蟲的世界の特徴は自由であり、ヌシ的世界の特徴は義務的、または創造的である。

物質的世界は無から分岐した

 物質的世界がどのように発生したかは不明である。現時点では、理論物理もこの問題を解決できない。だから、俺らは物質はよくわからないけれどもなぜか生成されたと解釈する。

この信仰における世界観は分岐世界観である。だから、君は物質の生成を無からの分岐と無理やり解釈する。たとえこの物質的世界が一秒ごとに発生し続けてきたとしても、君はその状態を物質的世界が一秒ごとに無から分岐し続けてきたと解釈する。

蟲的世界は物質から分岐した

 蟲的世界は視覚や聴覚や感情や性欲からなる世界である。なぜ感情や意識が存在するかは科学の問題でない。科学が明らかにするのは、物質的世界がこれこれの状態であるとき、意識や感情という蟲が物質に対応するように発生することである。

なぜ蟲が物質の状態に対応して発生するかは誰にもわからない。だから、君はこれを蟲が物質から分岐したと無理やり解釈する。感情や性欲という蟲は不連続であり、常に発生し続けていない。

感情や性欲という蟲が不連続に毎秒ごとに発生し続けてきたように、物質的世界も無から不連続に毎秒ごとに発生し続けてきたとしても、それほどおかしくない。

ヌシ的世界は蟲から分岐した

 ヌシ的世界とはヌシからなる世界である。ヌシは蟲から分岐した。ヌシは蟲と異なり物質的世界の状態と一対一に対応していない。

なぜなら、なぜ俺の肉体や蟲に俺のヌシが宿ったのかは誰にもわからない。物質的世界には、ある種の法則や必然性や偶然性が見られるが、ヌシはまさに神秘である。また、ヌシも不連続であり、毎秒ごとに発生しているように見えるが、俺らの信仰がヌシの連続性と一貫性を与えている。

2 分岐世界観における自由と義務

 西洋では、自由は人間の本質であると定義された。しかし、分岐世界観では、自由は人間の本質でない。なぜなら、動物も自由である。

動物が物質から分岐した後、動物は自由になった。人間が動物から分岐した後、もしその人間が自由に振る舞うならば、その人間は動物と同じである。つまり、その人間は非分岐状態である。

君は自由に振る舞う人間に違和感を覚える。その違和感の原因は ‘ 義務の欠如 ‘ である。つまり、分岐世界観では、義務が人間の本質に関係する。

 物質は無から分岐した後、物質は機械的に運動した。動物は物質から分岐した後、動物は自由に行為した。人間は動物から分岐した後、人間は義務的に人為した。

この信仰では、義務は自由よりも分岐的である。だから、君は自由意志でなく、義務意志を重視する。

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