戦後の混乱期に天理大が日本の文化遺産や伝統美術の散逸を食い止めたなんて話が美談として語られるけど、それは裏を返せば帝国大学の文系なんていざという時文化の保存や継承に大して役に立たなかったということであって、別に平和時に潰そうが民間に売り飛ばそうがどうってことはありませんよ。
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1081543504940023809
5:30 – 2019年1月5日
この信仰では、俺らの文化と俺ら視点の歴史を「独自で」保存する。なぜなら、日本国におけるマスメディアや大学は白人崇拝であり、なぜか白人視点である。
例えば、アメリカ大陸における多様性はモンゴロイド人種の虐殺の結果であり、西側の白人との中間種はアジア地域でハーフや被害者でなく加害者である(奴隷貿易や奴隷政策の共犯者)。さらに、モンゴロイド人種は黒人奴隷貿易によって反映してきていないので、モンゴロイド人種は黒人を可哀想な被害者として扱う必要がない。
しかし、彼らは白人に対する劣等感と白人との対峙を恐れて、彼らは彼らの視点や文化を売り渡そうとする。実際、明治維新では、バカな日本人は仏像を破壊して日本の文化や彼ら自身の歴史を売り渡そうとしてきた。
さらに悪いことに、日本人は損害と賠償すら認識できない。だから、彼らは損害を日本人に与えるとしても、彼らは科学とはすぐには役に立たないものである、または今は違う、知らないくせに批判しているとごまかして借金を踏み倒そうとする。
日本人の学者気取りにとって、歴史とは白人に書いてもらった後、彼らが消費するものである。だから、白人が書いてくれない日本人の学者気取りによる日本人への損害は歴史に葬られそうになっている。科学事業は公共事業であり、その損害はきちんと歴史に記録されるべきである。
日本人の知の肉便器は誰かが歴史を書いてくれた後、彼らはそれを消費しようとする。彼らにとって、学問とは誰かが書いてくれた歴史に対する乞食行為である。彼らは学問をやってるフリをしていて、学問気分、白人気分、なんかすごそうな気分を醸し出しているだけである。
日本人の知の肉便器は他人が書いた歴史を上から目線で評論して、それを誤審と審判する。彼らはたかりや乞食である。彼らは彼ら自身の歴史を絶対に彼ら自身で書こうとしない。
彼らはなにもできない。
例えば、カナダではイヌイットが現在でも虐殺されている。しかし、日本人の学者気取りはこの虐殺を傍観している。彼らはこの歴史を彼ら自身で記録しようとしない。
日本人の知の肉便器はイヌイットの虐殺を白人に書いてもらおうとぼーっと待っている。しかし、イヌイットは日本人と同じモンゴロイド人種であり、白人はコーカサス人種である。だから、白人にその歴史を書かせると、彼らは白人に有利な歴史を書こうとする。
だから、俺らモンゴロイド人種がそれをやらなければいけない。しかし、日本人の学者気取りは歴史を認識できないので、彼らはイヌイットの虐殺すら白人に書いてもらおうとする。彼らは頼りなく、無能であり、不良債権であり、そして憎むべき俺らの敵である。
彼らは知的好奇心など微塵も持っていない。彼らは白人扱いされて、ちやほやされたい。白人との対峙は嫌。だから、やってほしい。彼らはこんな感じである。


君はイヌイットの歴史を東洋小人種、そしてモンゴロイド人種視点からきちんと記述して、白人による損害をきちんと追求する。白人も白人との中間種も決して被害者でないし、部外者振ることは許されない。上記の彼らの行為はまさにナチスと同じである。
日本のメディアや大学は世界で最も醜い獣である。だから、信仰者は独自の映画を作り、イヌイット視点やモンゴロイド人種視点からの悲劇の歴史をきちんと保存せよ。アメリカ大陸の多様性は素晴らしいものでなく、人類史の悲劇である。

幸福の科学は彼ら視点の映画を作っている。この真剣版を信仰者内部で行う。