自己の存在と分岐

広告

 なぜ自己が存在するか?なぜヌシが存在するか?

広告

この信仰における自己の存在と分岐

 この信仰における世界観とは分岐であった。物質は無から分岐して、動物は物質から分岐して、人間は動物から分岐した。君のヌシが信仰されるのは、君が物質的世界や動物的世界から分岐したと信仰される。

分岐による自己の獲得は人種や民族や部族にも応用される。例えば、大和民族は東洋小人種の部分集合である。なぜなら、彼らは殷王朝の時代から分岐してきた存在であってきた。

東洋小人種はモンゴロイド人種から分岐した。そして、モンゴロイド人種はホモ・サピエンスから分岐した。ホモ・サピエンスは猿との共通祖先から分岐した。

 このように、分岐は君の自己を作る。

 経験則:分岐は君の自己を形成する。

 上記の経験則は中間種を見る時、君は納得する。中間種の大部分は自己認識の崩壊を繰り返す。なぜなら、中間種は分岐を失った存在である。

自己とは他者からの分岐である。その分岐が失われた時、人間は物質的または文化的に死ぬ。日本文化(和の文化)が存在するのは和が中華から分岐したからである。

自己でないヌシ

 「この信仰の目的とヌシの復活(蘇り)について」でみたように、この信仰の目的のひとつには、自己でないヌシの創造が存在する。もし分岐が君のヌシを自然に?与えるならば、分岐を繰り返す時、君は君のヌシでない自己を獲得できるだろうか?

 この信仰では、俺らは各自己をヌシと信仰してきた。しかし、もし俺らが自己でないヌシを創造できるならば、それはヌシよりも素晴らしいものであるか?たとえ俺らの子孫がヌシを復活させれるとしても、自己が永遠にヌシのままであるならば、それはつまらない世界ではないのか?
 俺らが存在するのはヌシが蟲的世界から分岐したからである。では、もしヌシがさらに分岐するならば、ヌシでない自己が存在してもよさそうである。
 俺はヌシでない自己を強く欲する。俺はヌシでない自己を強く渇望する。だから、この信仰の目的の一つをヌシでない自己の創造とする。

https://oreranitsuite.com/2019/09/06/この信仰の目的とヌシの復活(蘇り)について/

上記の発言は馬鹿げているように思える。しかし、君はそれを実現する価値があると強く信仰する。君が物質的世界から分岐する時、君は物質的世界に見られない取り決めを獲得する。君が蟲的世界から分岐する時、君は蟲的世界に見られない取り決めを獲得する。

君がこれらを繰り返す時、君は新たな取り決めを獲得する。君は自由になる。君は束縛から少しづつ分岐する。

 信仰の目的:君は君のヌシでない自己を創造するように、君の肉体を操縦する。そして、その自己はヌシよりも素晴らしい何かでなければいけない。

 上記は君の信仰である。たとえ君が無限である物資的世界や蟲的世界を旅するとしても、上記の答えは存在しない。君はそれらの世界から分岐された存在であり、君は上記を創造する能力を持つ。

これがこの信仰の基本的な原則である。

タイトルとURLをコピーしました