菊池誠と幸福の科学とオウム真理教〜宗教や社会と大川隆法と麻原彰晃

 菊池誠は幸福の科学やオウム真理教を批判してきた。しかし、菊池は宗教や社会が何かを認識しないまま、彼は社会活動に参加してきた。その結果、菊池は微分積分を理解できないのに科学にケチをつける哲学者「大森荘蔵」の科学者版になってきた。

宗教に対する菊池誠の勘違い

 菊池の勘違い:菊池の宗教観は狩猟民族的であり、彼は仏教や神道や個人の救いを宗教と錯覚する。

 菊池誠は宗教や信仰を継続的に侮辱してきた。彼の批判の大部分は哲学者による微分積分批判と同様にとんちんかんであった。なぜなら、菊池誠の宗教観は狩猟民族的であった。

狩猟民族が人間社会を形成して農耕民族や牧畜民族になる時、宗教が必要になる。なぜなら、宗教は人間社会を形成する役割を持っている。その証拠として、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の宗教書には、死生観とお金の規範と性規範と約束及び契約、そして統一された善悪の判断がしっかりと記録されている。

この意味は当然、彼らの宗教書が人間社会を形成するための必要なものであったからである。一方、菊池誠の宗教観とは宗教は個人の救済や救い、または修行を目的としているである。菊池誠を始めとする日本人の科学者気取りはきちんとした言語能力を持たないので、彼らは宗教を「雰囲気で」ふわっととらえてきた。

 菊池誠は宗教を狩猟民族的な観点でとらえて、宗教を侮辱する。その結果、彼の行為は非常にとんちんかんである。端的にいって、菊池誠は宗教に関して勉強不足であり、宗教の役割や意味を把握できていない。

 宗教の役割:宗教は人間社会及び人間組織を形成して、狩猟民族を牧畜民族に変える。

 宗教の役割は人間社会の形成であるので、宗教には、死生観とお金の規範と性規範と約束及び契約、そして統一された善悪の判断がしっかりと定められる。唯一の神もまた統一された人間社会を形成することに役たつ。

宗教によって形成された産物として、政治制度(民主制度)や法律や刑罰や会話行為や服装や善悪の判断が導出される。菊池誠は彼が宗教をいらないと言ったが、その理由は彼が狩猟民族であり農耕民族でないからである。極端な話、狩猟民族は動物と同じであるの、彼らには死生観も宗教も善悪の判断も不要である。

狩猟民族は組織を認識できないので、組織として政治や外交を行えない。狩猟民族は組織を認識できないので、組織として義務や責任を負えない。狩猟民族は組織を認識できないので、組織の管理や経営を行えない。

狩猟民族は組織を形成できないので、意思疎通の手段である文字や会話は発達しない。その結果、狩猟民族の社会では、論理が発達しない。狩猟民族は社会を形成しないので、話が通じない動物が放置される。

信仰に関する菊池の勘違い

 信仰:信仰とは物質的世界に存在しない存在や状態を捉え続ける行為である。

 菊池誠は「信仰」の意味を認識できない。物質的世界には、善悪の判断や人生の目的は存在しない。だから、人間はそれを彼ら自身で創造する。

しかし、男女平等と男女公平のどちらが正しい(真理)かは物質的世界には存在しない。だから、人間はそのどちらか信仰する。人生の意味も物質的世界には存在しないので、人間はそれを信仰する。

物質はエネルギを持っているので、菊池はそれを知覚できる。しかし、男女平等や公平のどちらが正しいかは人間によって知覚されない。だから、人間はそのどちらかを信仰して、人間社会や人間組織を構築する。

 菊池は神が存在しないと発言してきた。しかし、正確には、世界の造り主は科学が明らかにする物質的世界には存在しないである。信仰という単語それ自体が物質的世界にない何かを捉え続けることであるので、菊池の発言は彼が信仰という単語の意味を認識できてこなったことを暗示する。

だから、菊池が科学をもちいて神を批判するとき、彼は信仰や神の意味をよく把握する必要が有る。普通に考えて、世界の創造主が物質的世界の中に存在しないし、物質的世界が世界それ自体であるかすらわからない。だから、もし菊池が神を批判したいならば、菊池は1. 物質的世界が世界のすべてであること、2. 信仰という単語それ自体が間違いであることを指摘する必要が有る。

仏教系であるオウムを死刑にすることの意味

 オウム真理教は仏教系の宗教であった。その教祖、麻原彰晃は殺人罪で死刑された。しかし、殺人罪の罪はキリスト教の概念である。

仏教系の教徒を罪の概念で罰することそれ自体が宗教的侮辱である。菊池は宗教を批判してきたが、彼は宗教の意味を認識できない。だから、彼は麻原が罪の概念で罰されることの宗教的侮辱を認識できない。

さらに悪いことに、菊池は罪の概念それ自体が宗教的な概念であることを認識できないように思える。宗教の重要性は刑罰にも関係する。菊池は彼自身を無宗教と発言した。

 俺は菊池に質問したい。もし彼が無宗教であるならば、菊池はどのような刑罰をもちいて他者を罰するのか?無宗教の人間は他人を罰することなどできないだろう。

なぜなら、刑それ自体がなんらかの宗教的な産物の結果である。俺は麻原の死刑に賛成してきたが、彼は罪の概念によって罰されるべきでなかった。なぜなら、それは宗教的侮辱である。

白人様
白人様

 菊池は彼自身は無宗教であると発言した。

白人様
白人様

 もし菊池が無宗教であるならば、菊池は人間をどのような正当性に基づいて罰するか?罰における菊池の正当性は何であるか?宗教の必要性は罰における正当性にも密接に関係する。

菊池誠と幸福の科学

【幸福の科学】幸福実現党役員に宏洋さんとの対立や霊言について聞いてみた
宗教は社会の形成を促し、行為に関する正当性を与える。その後、宗教は会話の仕方に影響を及ぼす。真ん中の人間は元キリスト教徒であり、穏やかな話し方をする。それに対して、自称無宗教の菊池はヒステリをすぐに引き起こしてまともな会話をかわせない。

 菊池は幸福の科学を批判してきた。しかし、彼の批判は完全にずれている。宗教の役割は人間社会や組織を形成することである。

さらに、菊池の批判は公平でない。もし菊池が幸福の科学を批判したいならば、菊池は彼自身の組織を形成した後、彼は幸福の科学を批判すべきであった。菊池の行為は自分では理論や料理を作らないが、他人が作った理論や料理に口を出すおっさんと同じである。

死生観を提示できない菊池が大川隆法の死生観の滑稽さを批判するとしても、誰も菊池を評価しない。大川隆法の死生観を5点とすると、死生観のない菊池は0点である。死んだら終わりは正しいが、それじゃ組織や社会は形成されない。

 幸福の科学は内容のないまとめさいとやコピペサイトやキュレーションサイト同じであるが、それらはホームページとして優秀である。同様に、幸福の科学は中身がないが、彼らは人間社会や組織を形成している。宗教は社会を形成して、社会性を人間に与えるので、会話作法が洗練される。実際、幸福の科学の信者は丁寧な話し方を好むように見える。

菊池は古代ゲルマン人であり、幸福の科学はローマ人に近い。古代ゲルマン人は長身と強い骨格を持ち、遺伝的に優れていたが、狩猟民族であった。だから、彼らは未開であり、遺伝的に優れていたけれども、彼らはチビのローマ人にボコボコにされた。

大川隆法は宗教を作り、組織や社会を形成した以上、彼は菊池よりも社会問題を解決する能力を持っているだろう。狩猟民族たる菊池は人間社会や組織を形成できないので、彼は少子化問題すら解決できない。彼は他人が作った組織を批判して、その組織になんとかしてもらおうとし続ける。 

 どんなに菊池が真理を主張するとしても、彼が組織を形成できない以上、誰も彼のことに耳を傾けない。菊池は人間社会や人間組織を形成する意思を持たず、他人が作った組織に乞食して恩恵のみを一方的に受けるつもりであるので、彼は社会的な死生観の重要性を認識できない。彼は死んだら終わりであると断言するが、それじゃ社会は形成されない。

大川隆法も麻原も死んだら終わりであることぐらい分かりきっていたはず。けれども、彼らは死生観それ自体を社会的な産物であると認識してきた。だから、彼らは社会的な死生観を提示して、組織を形成してきた。

たとえ俺が菊池を宗教に関する無知について批判するとしても、菊池は俺の発言を認識できない。なぜなら、菊池は社会を認識できない。菊池は老人からなる人間社会や組織を形成するとき、菊池は社会的な死生観の重要性を認識するだろう。

なぜなら、老人はもう死ぬから日本とかどうでも良いと返答する。だから、社会的な死生観なしに老人を動かすことなどできない。菊池は社会や組織を形成しないので、彼は社会的な死生観の重要性を認識できない。

なぜ菊池誠は無宗教を名乗るか。

 罪の概念や男女平等の平等や人権や寛容はキリスト教の概念である。菊池はこの種の概念に賛成してきた。彼は実質的にはキリスト教徒である。

しかし、彼は彼自身を無宗教と宣言してきた。なぜなら、彼は宗教に関する歴史的な義務や責任を一切負いたくない。さらに、彼は白人と対峙したくないので、彼はキリスト教の概念を採用してきた。

菊池誠は世界で最も卑しく汚い動物である。俺は彼ほど気持ち悪い人間をみたことがない。もし菊池は本当に無宗教であるならば、彼はどの種の刑罰でも受けるのだろうか?その答えは罰を受けたくないである。

 菊池が無宗教であることは菊池は人間社会や組織を彼自身で形成するつもりがないということである。だから、彼は組織としての責任も取るつもりがないし、法律も守るつもりがないし、まともな会話すらするつもりがない。

たとえ菊池が損害を契約相手に与えるとしても、菊池はその賠償をするつもりがない。菊池は他人が作った組織に寄生しつつ、何の責任も取りたくない。他人が組織を形成するときに作った死生観を侮辱して、優越感や倒錯した性的興奮を得たい。


チェ ギュガン ★ 최규강
さん
2017/9/510:44:12
発達障害者に深入りすると本当に「ここまで心が汚い人間を見たことない…」って気持ちになる よね?
誰にでもありえるような無神経さや狡さや弱さでは到底ないね 

発達障害者にとって優しさはありがたいものではなく、舐めて軽んじる相手認定するもの 

増長ずる一方のアスペに疲れ果てて見放されたらそれまでのどんな恩さえ関係なし、自分の原因は眼中にない 

ずっと当たり前に優しくいてくれないなら仕返ししてやるぞと思うだけの人間 

あまりに何もかもが汚くて、長所を探したくてもひとつも見つけられないままだった 

思い遣り深いみんなの太陽のような上司がアスペの仕返しで胃を壊してからは、みんな敵意全開の対応してやってやるよ 

それでも最後までみんなとの仲を取り持とうと、見放しても非情にまではなりきれずアスペをかばおうとしてた上司を、アスペが自分で追い打ちかけて壊した 

このとき心底「これは人間じゃない」「人間扱いする必要が一切ない」と確信したね 

今までどれだけみんなのお情けに守られてたかもわからないで、恥ずかしい仕返しを平気でするやつに与えるお情けなんかないんだからな 

アスペは面食らった反応で小さくなってて呆れたよ 
こうならないわけないだろ、こんなことしてみんなに今までどおり受け入れてもらえると思ってたのか?どんな脳だよ 

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10179036820


nek********
さん
2017/1/2613:30:13
発達障害(特にアスペ)の人間はこちらが下手にでて折れてあげたり気を使ってあげると、自分が上だと勘違いして偉そうな態度を取りますよね。気持ち悪くなるくらい腹が立つのですが、どうすれば良いでしょうか。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10169696265

強いて言うなら、アスペルガー疾患者は価値観が健常人と根本的に違うというより、価値観そのものがない
と言っていいと思います。

だからこその、他人のj行動を真似るとか、あるいは追い詰められたときのおうむ返しとか、言動の一貫性のなさ、
口先だけの大言壮語ばかりで行動が伴わない、などがあるんだと思います。


「他人の気持ちがわからない、空気が読めない」などといったら、別に何か確固たる信念に基づいた自分というものが
あるのだとうっかり勘違いしてしまいそうですが、実はそういうことじゃないということですね。

あるのは単に、他人を否定することによって自分を認めさせたいというある種の本能的な我欲だけでしょうね。

https://okwave.jp/qa/q6859269.html
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