歴史と信仰の優先性

俺らの信仰
https://www.youtube.com/watch?v=7L9r75FGgOk

 これは「三重試合型歴史観」の続きである。

 この信仰では、君は信仰を歴史よりも重視する。ただし、君は歴史を軽視しない。信仰無き歴史とは取り決めなき球蹴りのようなものである。

始め、人間は何かを蹴って遊んでいた。その後、人間は蹴るという行為に関する取り決めを形成した。その時、人間は取り決めに関する正当性を思考しなければいけなかった。

信仰の優越

信仰の優越 信仰の優越とは信仰が歴史に優越する状態である。

 判断 君は信仰の優越をヌシ判断と判断する。

 正当化:正当化は分岐的大原則による。歴史における人間の行為をサッカーの行為に対応させる。

動物による球蹴りは自由であり、行為に関する取り決めが存在しない。動物の世界には、取り決めが存在しない。動物の世界には、行為の取り決めに関する正当性が存在しない。ん

この信仰の目的は分岐であり、君は君の肉体を分岐せるように操縦する。つまり、君は行為に関する取り決めが存在して、かつ正当性が与えられた状態に向かって君の肉体を操縦する。従って、君は信仰の優越を正当と審判する。

信仰は行為の正当性を与え、その正当性が行為に関する取り決めを作る。だから、君がこの信仰を信仰する時、君は行為の正当性を与え、行為に関する取り決めを作る。

歴史と信仰の順序〜電場と磁場と信仰と歴史〜

 上記でも述べたが、歴史(動物の球蹴り)が存在して、その後信仰(取り決め及び正当性によるサッカー)が存在した。歴史と信仰の関係は電場と磁場のようなものである。ただし、もし君が君の子供に肉体の操縦に関する取り決めを教えずに、くるまの運転やサッカーをさせるならば、君の子供は彼の肉体を適切に操縦できないだろう。

同様に、もし君が歴史の中で君の肉体を適切に操縦したいならば、君はこの信仰をはじめに学ぶ必要がある。信仰を学びながら、君は実践する。当然、君は信仰のすべてを精密に知る必要はない。君はまわりの信仰者を見ながら、なんとなく、どういうものかを知るだけで良い。

 歴史と信仰の順に関する君の脳の操縦:信仰は1番目であり、歴史は2番目であり、信仰は三番目であり、歴史は4番目であり、(以下略)。負の世界では、歴史がー1番目である。

例えば、君がー1番目の歴史を原点と置く時、君は歴史→信仰→歴史という流れを認識する。しかし、実際、現実的には、君は信仰に始めに接する。

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