メソポタミア文明の捉え方〜シュメルからアッシリア帝国まで

歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/サルゴン_(アッカド王)
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 東洋人が中東を感覚的に把握することは非常に困難である。そこで、俺は中東史を形式的に分類する。君が中東について考える時、君は東洋人としての君の先祖と他の文明を感覚的に測るための東洋文明を利用する。

前提

 中東地域の面積はインド大陸と同じである。だから、君が中東史を考える時、インド大陸の中の物語を見るような感覚を持つ。

人種

 古代メソポタミアにおける登場人種は中東小人種と地中海小人種である。ペルシャやエジプトやメソポタミアは中東人種であったはず。一方、ヒッタイトは地中海人種であっただろう。シュメル人はコーカソイド人種でなかっただろう。

シュメル人を除くと、古代メソポタミアはコーカサス人種のための文明であった。その下位分類として、地中海小人種と中東小人種が存在した。地中海小人種は西はイベリア半島から東はアルメニアまで東西に広く分布している。中東は中東小人種と南下してきた地中海人種によって形成されてきた。

南方の人間は言語と商業、北方の人間は軍事と製造に強い。中東は東洋の南部と東南アジアの北部に対応して、小人種の結節点のような地域であった。その地域では東洋小人種と東南アジア小人種が入り混じるように、中東では、地中海人種と中東人種のが入り混じる。

シュメル人を除外

 シュメル人はおそらくコーカサス人種でなかった。だから、君はシュメル人をメソポタミア文明から除外して、シュメル文明と独立に認識する。俺の印象によると、メソポタミア文明を作ったのはコーカサス人種でなくシュメル人であった。

コーカサス人種はシュメル文明の後継者や継承者であったように思える。中東は古代から先進的な地域であったが、もしシュメル人が存在しなかったならば、メソポタミア文明は存在しなかっただろう。そして、メソポタミア文明の基盤はコーカサス人種でなく外来の未知人種によってもたらされた。

白人種が彼ら自身の宗教や文字や法制度を地中海人種や中東人種に依存してきたように、古代の中東人種もまた外来の未知の人種の文明に依存してきたように思える。

歴史を捉える時の基準を設定する

 君がメソポタミア文明を思考する時、君は東洋文明を基準にして思考する。夏王朝から殷王朝の終わりまで、大和民族の先祖は中国大陸に存在したはず。だから、君はこの事実を利用してメソポタミア文明を把握する。

夏王朝は紀元前2000年から1600年の400年間、殷王朝は紀元前1600年から1000年の600年間、そして周王朝は紀元前1000年から700年までの300年間であった。君はこの期間を使用して古代メソポタミアを把握する。

アッカド帝国(紀元前2300)から古バビロニア(紀元前1500年)までを夏王王朝に対応させる。ヒッタイトやミタンニなどのごちゃごちゃした時代を殷王朝に対応させる。アッシリア帝国(紀元前約1000年)からメディア王国(約700年)による滅亡までの期間を周王朝に対応させる。

古代メソポタミアを3分割しよう

アッカド帝国から古バビロニアまで〜中東人種国家〜

 紀元前2300年に、アッカド帝国は現在のイラクあたりを統一した古代帝国であった。その後、約2000年あたりに、崩壊した。サルゴン王が有名である。その後、いろいろあって古バビロニア王国は形成された。

古バビロニア王国は紀元前1800年に同じくイラクあたりに成立した。この王国は1500年にヒッタイト(地中海小人種)によって滅ぼされた。ハンムラビ王と彼の法典が重要である。

アッカド帝国も古バビロニア王国もおそらく中東小人種による国家であっただろう。

ごちゃごちゃ期間〜1500年から1000年〜地中海人種国家〜

 古バビロニア王国の後、メソポタミアは混乱状態、または王国乱立状態になった。この時代は中国における殷王朝に対応する。中国では、社会が比較的安定したのに対して、中東における社会はひどく混乱していた。

中東に興味のない人間はこの期間を飛ばして良いように思える。君はこの時代を中国では社会が安定していたが、中東では混乱していた時代と解釈すれば十分である。

海の民によるヒッタイトの崩壊もこの時代であった。ヒッタイトは中東小人種でなく地中海小人種であっただろう。彼らは現在のアルメニア人やトルコ人のような人々であっただろう。

アッシリア帝国からメディア王国、そしてアカイメネス朝ペルシア〜再び、中東人種国家〜

 アッシリア帝国は現在のイラク北部に生じた帝国で、紀元前約1000年(かなり大雑把)に中東における大帝国を建設した。しかし、約700年(正確には600年)に生じたメディア王国に滅亡させられた。アッシリア帝国もメディア王国も中東小人種の国家であっただろう。

メディア王国はその後短期間でアカイメネス朝ペルシアに滅亡させられた。この時代は中国における周王朝に対応する。中国は比較的安定していたが、中東は相変わらず混乱していたように思える。

しかし、その後、中国は春秋戦国時代に突入して中東並みに混乱することになった。

おわりに〜ペルシャの勃興〜

 唐王朝はペルシャの影響を受けてきた。ペルシャの台頭はメディア王国の勃興からである。つまり、紀元前700年の後から、ペルシャは勃興してきたように思える。メディア王国と新バビロニア王国によるアッシリア帝国の破壊は約紀元前600年であった。

アカイメネス朝ペルシア

 アカイメネス朝ペルシアはメディア王国を滅ぼして、紀元前500年に勃興した。その200年後にアレクサンドロスによって滅ぼされた。俺の憶測によると、秦王朝はこのアカイメネス朝ペルシアの制度に影響を受けたように思える。

ちなみに、中国は春秋戦国時代であったので、混乱していたはず。アカイメネス朝ペルシアは中東小人種の王朝であったはずであるが、この領土はトルコやギリシアまで及んでいた。トルコやギリシアは地中海小人種であったはず。

ペルシャのその後

 アカイメネス朝ペルシアがアレクサンドロスによって滅亡された後、セレウコス朝がペルシアで生じた。おそらく、この王朝は地中海小人種の王朝であった。その後、パルティアが紀元前200年に台頭して、ササン朝ペルシア(紀元後200)まで約400年間続いた。

パルティアの期間は漢王朝のそれに綺麗に対応しているので、君はパルティアを容易に記憶するだろう。なお、ササン朝ペルシアもパルティアのように400年間継続した後、イスラム教徒のアラブ人に600年に滅亡させられ、ペルシア人はイスラム教徒になった(ウマイヤ朝→アッバース朝)。

ササン朝ペルシアの時代、中国は漢の滅亡後であるので、三国時代→晋→南北朝時代であった。この時代の中国は基本的に混乱していたように思える。

おまけ:シュメル人の人種はなぜ重要か?

 領土の先住権に関係する。もしシュメル人がモンゴロイド人種であるならば、君はメソポタミアの先住権を主張してみて、彼らの反応を見れば良い。人種や民族の重要性はその土地の先住権に密接に関係するので、君はそれを無視しない。

もし君が人種や民族を軽視するならば、君は土地を奪われるだろう。

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