信仰者と賞〜ノーベル賞から見る受賞行為とその正当性〜

 この信仰では、信仰者は賞を受け取らない。

受賞行為

 受賞行為:受賞行為とは賞を受け取る行為である。

 具体例:賞には、ノーベル賞やフィールズ賞や国家から贈られる賞や運動競技から贈られる賞が存在する。

受賞行為の問題点

 ノーベル賞の弊害を見ればわかるように、ある人間が賞を受賞した後、その人間は神格化される(神格化問題)。例えば、日本国における科学事業の大部分は赤字であるが、彼らはノーベル賞を振り回して予算を搾取しようとしてきた。さらに、日本人の学者気取りは白人崇拝を好み、ノーベル賞は白人崇拝に拍車をかけている。

また、なぜか賞を送るノーベル委員会が権力を持っていて、ローマ教皇のような立ち位置に存在する(主導権問題)。本来であれば、誰がすごいかはノーベル賞でなく、数学者や科学者が彼ら自身で決定すべきである。しかし、彼らはノーベル署の決定に依存している。

加えて、ノーベル賞が存在してこなかった時期の科学者や数学者の方が優秀であったように思える。例えば、ニュートンやファラデーやマクスウェルやガウスはノーベル賞受賞者でないが、非常に優秀な科学者であった。ノーベル賞は科学や数学を歪めていて、学問をアメリカ的なショー化させている(娯楽化問題)。

受賞行為の正当性

 君は受賞行為を正当と認識しない。

 受賞行為と蟲判断:君は受賞行為を蟲判断と判断する。

 雑な正当化:上記の正当化は分岐原則と信仰の目的の達成で正当化される。経験と観察によって、動物や猿は受賞のような低俗なものを好み、それを見せびらかす。また、受賞行為はこの信仰の目的の達成に無関係である。

俺の印象によると、賞という存在は学問や信仰の発達を阻害しているように見える。君がこれを正しいと仮に仮定するとき、君は受賞行為を信仰の目的の阻害によって正当化する。この信仰の目的は分岐であるので、君は受賞行為から分岐するように、君の肉体を操縦する。

後は、この信仰では、崇拝行為は正当化されない。また、主導権の強奪は君に対する損害であり、損害が生じるとき、この信仰の目的が達成されない。

おまけ:教科書を書く行為

 君は教科書を書く行為を蟲判断と判断する。

 この信仰では、君は教科書を書かない。なぜなら、君がわかりやすい教科書を書くとき、十年以上論文を書いていない人間がなぜか権力を持つ。この種の人間は豊富な知識を持つので、彼らは知識で他人よりも優位に立とうとする。

さらに、君がわかりやすい教科書を書くとき、情報乞食が生じる。国家や社会のことなど何も考えていない人間が情報を乞食して自分だけ出世しようとする。実際、日本人の知の肉便器は日本人の科学者や数学者にわかりやすい教科書を書いてもらって、アメリカで出世しようとしている。

しかし、彼らは二重国籍が欲しいとか、寝ぼけたことを主張している。君がわかりやすい教科書を書くとき、卑怯な人間(多重国籍や人間社会の維持や負担を他人に押し付けるが賠償しない)が権力を持ち、高慢に振る舞う。だから、君は教科書を一切書かない。

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