この信仰では、君は応答行為を重視する。日本人の学者気取りはこの応答行為を苦手とする。その結果、彼らはバカであるように見える。
応答行為の重要性は自然科学にも応用される。この違和感や違いに対する応答行為が低い時、君はある現象を発見できない。何かを発見するという行為それ自体が応答行為である。
君が応答行為を思考する時、君は君の肉体を車体と認識する。情報(物理的譲歩も含む)が君の車体に入るとき、君はその情報に対する適切な応答をする。なお、君は応答行為を人間的な行為、反応行為は物理的行為、または動物的な行為と認識する。
応答行為
言語応答
言語応答とは言語に対する応答である。日本人の学者気取りはとんちんかんな応答を繰り返す。なぜなら、彼らは言語応答能力を持っていない。
なお、言語応答とは言語に対する言語の応答でない。言語応答は言語に対する行為の応答を含む。
非言語応答
非言語応答とは非言語的な対象に対する応答である。非言語的な対象とは、例えば、物質や人間社会の状態(二重国籍や不公平)に対する応答である。白人種は物質に対する非言語応答能力を持っていたので、近代科学を発展させてきた。
応答行為の正当性
応答行為は分岐的大原則によって正当化される。君が爬虫類や東南アジア人や日本人の学者気取りを見るとき、彼らは応答しない。ひどいときには、彼らは反応しない。
ある対象が物質的世界から分岐されていないとき、その対象は応答できない。この信仰の目的は分岐であり、君は物質的世界から分岐するように、君の肉体を操縦する。もし応答行為が分岐された行為であるならば、応答行為はこの信仰の中で正当な行為である。