ナチスドイツは民族主義でなくキリスト教原理主義や宗教主義か?アスペと神の意志の実現

 一般的に、ナチスドイツは民族主義とみなされてきた。しかし、ナチスドイツの本質は民族主義でなく宗教主義であるように思える。ナチスドイツにおける白人至上主義はナチスの本質でない。

なぜなら、当時、アメリカもイギリスも白人至上主義であったが、彼らはナチスドイツにならなかった。当然、ドイツはスラブ民族も絶滅させようとしてきたので、彼らの行為は民族主義に関係していただろう。しかし、ナチスの最も奇妙な点はユダヤ教徒の抹殺計画であった。

ナチスの一部は反キリストであったらしいが、極右と極左が同じであるように、熱狂的な反キリストはキリスト教原理主義と同じである。

ナチスの行為の動機は宗教・キリスト教では?

 なぜドイツ人はナチスを民族主義と主張するか。なぜなら、彼らが民族主義という単語を使用するとき、ドイツ人の本音を隠蔽して、彼らの行為を他人に責任転嫁できる。だから、彼らは民族主義という用語を使用してきた。

ナチスドイツはユダヤ教徒の白人を抹殺しようとして、彼らを虐殺した。日本では、ユダヤ教徒の白人はユダヤ人と呼ばれるので、日本人はナチスドイツによる行為の意味を取り違えてきたように思える。欧州におけるユダヤ教徒の白人に対する嫌悪感は宗教的な感情であり、人種的な感情でないように見える。

ナチスがユダヤ教徒を虐殺した動機は「宗教的なもの」であったように思える。この宗教的なものが何であるかは無宗教の東洋人にとって意味不明であるが、少なくとも、彼らの行為は人種的なものでない。なぜなら、ユダヤ教徒の白人は人種的に白人種である。

神の意志の実現と宗教主義

 白人種にとって、宗教書とは神の言葉である。彼らは神の言葉を実現させようとする。この「実現」という行為を理解することは東洋人にとって難しい。

キリスト教徒の白人は宗教的な戒律に従うのは、その行為が神の意志の実現であるからである。彼らの人生とは「神の意志の実現」そのものである。しかし、一部の白人はこの種の行為に対する嫌悪感を持ち、聖書が神の言葉であることを否定しようとした。

要するに、ナチスの一部は聖書が神の言葉でなくインチキであり、白人は神の意志の実現のために生きる必要がないと証明したかった。だから、ナチスがユダヤ教徒の白人を絶滅させれば、ユダヤ教徒は選ばれた民でなく彼らは救われもしないことを証明できる、つまり聖書は神の言葉でないと感じた。だから、彼らはユダヤ教徒を絶滅させようとした。

メルケルの政党名はドイツキリスト教民主同盟

 俺がメルケルの政党名を知った後、俺は非常に驚いた。なぜなら、ドイツでは政教分離が行われていないと感じた。さらに、ナチスがユダヤ教徒を虐殺したのはキリスト教が原因であると俺はうっすら感じていたので、なぜ政党名にナチスの原因であるキリストの名前が入ることが許されているかと思った。

俺の勝手な憶測によると、キリスト教のドイツ人はナチスが反キリストであったので、キリスト教であることは肯定されると考えているように見える。キリスト教のドイツ人は戦前のドイツ人はキリスト教を捨てたからこそナチスになった。だから、戦後のドイツ人はキリスト教を捨てたことを猛省して、彼らはキリスト教の精神に従って生きなければいけない。

その時、彼らはナチスの過ちを繰り返さなし、ユダヤ教徒を虐殺することはない。彼らはこういう風に思考したように思える。その結果が戦後ドイツ人の極端な人道主義と寛容であった。メルケルはシリア難民を受け入れたが、彼女の行為(人道や寛容)はキリスト教由来である。

アスペはナチス的思考を好む

 ナチスの原因は白人のアスペ体質である。アスペは文字をそのまま信じて、文字通りに運動しようとする。その結果、ナチスが生じた。

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