無目的行為とその正当性

 この信仰では、君は無目的行為を回避するように、君の肉体を操縦する。君は無目的行為を非常に嫌悪する。

無目的行為とその正当性

 無目的行為:無目的行為とは目的を持たない行為(運動)である。

 太陽の運動も動物が生きることも無目的な運動や行為である。それに対して、人間は目的を持った行為、人為に沿って生きてきた。例えば、神のために生きるや妻子のためや国家のためがそれである。

 無目的行為と蟲:君は無目的行為を蟲判断と判断する。

 上記の正当化は分岐的大原則による。目的は善悪の判断と同様に物質的世界院は、存在しない。この信仰の目的は分岐であるので、君は君の肉体を物質的世界から分岐するように操縦する。

物質も動物も目的を持たずに、運動して生存してきた。それに対して、人間は目的を創造できる。この目的は人間と動物や人間と物質を明確に分ける。だから、君は目的を非常に重視する。

典型的な具体例

  1. 祈り
  2. 待つ
  3. 沈黙
  4. 勉強
  5. 筋トレ

祈り

 君が祈り行為を見る時、君は祈る人間をバカか未開であると審判する。なぜなら、祈るという行為は目的を創造できないし、その目的を達成できない。例えば、火災が生じる時、もし消化活動がその目的であるならば、祈りは無意味である。

祈りの無意味さは目的の未達成と目的の設定の欠如からくる。簡単に言うと、何をやりたいのかわからない。未開人は火災を消化したいのか、何をしたいのか・

待つ

 待つも同じである。待っても問題は解決されないし、目的も設定されない。

沈黙

 沈黙も同様であるので、略する。

勉強

 勉強も同様である。目的のない勉強は自己満足や祈りと同じである。勉強に対する虚しさは目的の欠如である。

この勉強には、科学や数学も含まれる。科学や数学が役に立つからとかおもしろいからは無目的行為である。目的を設定できないことは動物と同じである。

特に、数学や科学はブランド化されていて、高尚な雰囲気を漂わせている。しかし、数学する行為が目的を持たないならば、その行為は動物による情報消化行為と同じである。

筋トレ

 筋トレも同様である。マッチョになってちやほやされたいは目的でなく単なる動物的衝動である。例えば、筋トレして若さや健康を維持したいは無目的でない。

まっちょの大部分はみせるための筋肉である。結局、彼らは重い物体すら移動させない。労働の結果としてついた筋肉は「目的性状態」であるので、その筋肉は分岐された状態である。

それに対して、筋トレの結果としての筋肉は「無目的状態」である。その状態は分岐された状態でない。君はそうならないように君の肉体を操縦する。

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