玉木俊明と日本人の歴史学者〜なぜ京都産業大学の彼は多くの本を書く?善悪と高学歴

広告

玉木 俊明(たまき としあき、1964年 – )は、日本の経済史学者、京都産業大学教授

大阪市生まれ。1987年同志社大学文学部文化学科卒。93年同大学院博士課程中退。96年京都産業大学経済学部講師、2000年助教授、2007年教授。09年「北方ヨーロッパの商業と経済 1550-1815年」で大阪大学文学博士

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉木俊明

 玉木は英語論文を彼自身で書いてこなかった。その代わり、彼は大量の書籍を出版してきた。俺が彼の仕事を見るとき、なぜ彼は大量の書籍を書いたのかを勘ぐる。

好意的に憶測すれば、彼の信念や後ろめたさからであるだろう。日本人の学者気取りの大部分は不良債権であり、損害を契約相手たる日本国民に与えてきた。その損害の埋め合わせをするために、彼は何かを契約相手に伝えようとしているように思える。

上記の彼の経歴を見ればわかるように、彼は高学歴でない。しかし、彼は東大の学者よりも知的に誠実であるように見える。なぜなら、彼は善悪を下す能力を持っている。

 要するに、彼は現在の大学の状況や大学教員の堕落、そして本能丸出しの我欲を見て幻滅した。彼はこの状態を悪いと判断して、彼は彼自身がなんとかしないといけないという信念を持った。その結果が彼の書籍の出版である。

俺はなぜ東大の教授が彼のように振る舞えないのか疑問に思う。結局、日本人の学者気取りや博士号がバカに見えるのは善悪の判断の欠如である。たとえ人間が東大に入学できるとしても、現在の大学や教員の状態を悪いと判断できない。

学問という営みは善悪の判断を教えるものでない。だから、信仰や宗教を持たず善悪の判断を下せない日本人の学者気取りや東大生はどこまで腐敗して東南アジア化する。不屈の精神と勇気を持って、彼らは動かない。

 なぜ高学歴でない玉木は大量の書籍を書いて何かを伝えようとしているか?俺は彼はなんらかの信念に従って動いていると審判した。たとえ彼のほんの情報精度が曖昧であるとしても、彼の情熱と行為は決して批判されるべきでない。

日本人の学者気取りは世界で最も醜い。彼らは何もできない。彼は彼ら自身の制度すら自分で作れない。彼らは未開社会の白人のイタコに等しい。

彼らの行為は学問の水準に達していないように見える。彼らは学者でなく不良債権であり、彼らは害虫である。たとえ彼らは損害を契約相手に与えるとしても、彼らは賠償しようとせずに水に流す。

 彼らの生きている環境はシュメル文明よりも未開である。損害に対する賠償は5000年前から存在していたはず。しかし、日本人の学者気取りはそんな簡単なことすら認識できない。

彼らは学問の自由や大学の自治やナチスやスターリンを引き出して、賠償を回避しようとする。または、彼らは今は違う。知らないくせに批判していると言って、彼らは賠償仕様としない。

賠償の埋め合わせのために必死で何かを書こうとしている玉木は東大性や日本人の知の肉便器よりも優秀であり、知的に誠実である。

タイトルとURLをコピーしました