分析的思考と包括的思考(関係性思考)と人間の本質

俺らの信仰
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガイウス・ユリウス・カエサル

 この信仰では、君は分析的思考と包括的思考をうまく使い分ける。人間の本質に関しては、君は分析的思考を使用する。政治における公平性や相互性では、君は包括的思考を重視する。

0:思考

 思考に対する君の認識を正確に定めることは非常に難しい。ここでは、思考とは君の脳を人為的に操縦する行為または人為と君は認識する。

実際、思考は宗教や信仰が与える正当性や善悪の判断に密接に関係する。だから、もし君がなんの宗教や信仰も持たないならば、君は何も思考できない。

なぜなら、その状態は取り決めなきサッカーの試合のようなもの。そのとき、任意の審判は選手の任意の行為を適切に審判できないだろう。なぜなら、審判の根拠となる取り決めと取り決めの正当性を与える何かが存在しないのだから。

1:分析的思考と包括的思考(関係性思考)

 分析的思考とは対象それ自体または対象のある性質それ自体のみを分析する思考である。

便宜的に、ここでの分析は日常的な意味とする。分析的思考の要点は対象それ自体でない性質を一度無視することである。

 関係性思考とは二つ以上の対象の関係やある対象の二つの関係を分析する思考である。

2:具体例

 具体例の代表例は人間の本質に関する言及である。関係性思考の短所としては、君は頭が良いとデザインの優劣について語る。また、分析的思考の短所として、君はハラール食とアメリカ大陸の多様性について語る。

頭が良い?

 日本人は数学や理論物理に長けた人間(大栗博司や村山斉)を天才や頭が良いと審判してきた。しかし、この思考は関係性思考である。なぜなら、彼らの知的能力は数理能力の高さである。

数理能力は善悪の判断を下す能力と異なる。しかし、日本人は対象(ここでは能力)それ自体を分析できないので、彼らは大栗や村山を天才と言ってきた。そして、周りの人間は彼らを天才と崇拝してきて、なんでもできるような ‘雰囲気’ を醸し出してきた。

例えば、俺が彼らを善悪の判断を下す能力の低さについて批判するとき、日本人の学者気取りは大栗先生はフンボルト賞を受賞された天才であると返答する。なぜなら、彼らは善悪の判断を下す能力それ自体を分析できない。俺は善悪の判断を下す能力について分析してきたのに、彼らはなぜか大栗や村山の数理能力の高さに関する事実を返してくる。

 俺は彼らは善悪の判断を下す能力と数理能力を無意識的に関連づけてしまうと審判する。その結果、大栗や村山がなんでもできる天才として崇拝されて、日本人の学者が合気道の達人化する。例えば、ウサイン・ボルトは200mの天才的な選手であったが、彼は天才的なサッカー選手でなかった。

なぜなら、200mで要求される能力はサッカーで要求される能力と異なる。しかし、関係性思考を重視する東洋人はこの2つの能力を結びつけて、ウサインボルトは「(運動の)天才」と呼ぶ。

デザインについて

 俺が日本人を含む東洋人の肉体の自己デザインは白人の肉体のデザインよりも劣等であると述べるとき、関係性思考を重視する人間は白人は老けやすいや白人はワキガであると返答する。この返答は事実であるが、デザインという対象それ自体が分析されない。俺はデザインという数学に関する対象について話しているのに、彼らはワキガという生物学に関する対象の話を返答してくる。

なぜなら、東洋人はデザインという対象それ自体を認識できない。だから、彼らはデザインをいつまでも分析できないので、彼らの肉体のデザインも街のデザインも、そして微分幾何学のようなデザインに関係した数学も発達しない。彼らはデザインについて語ろうとするとき、デザインに関係したものに言及してしまうので、いつまでもデザインそれ自体が分析されない。

イスラム教徒とハラール食

 欧州におけるイスラム教徒はハラール食を欧州の白人に要求した。しかし、白人は豚肉をイスラム教圏で要求しない。なぜなら、白人はハラール食の要求行為それ自体を分析して、その行為が正当であるかを審判する。

一方、東洋人はイスラム教徒による要求行為は一方的であり、相互性がない、両方方向性がないと感じる。なぜなら、東洋人は東洋人自身とイスラム教徒との関係を分析する。その結果、その関係は一方的であり相互性や両方向性が存在しないと審判する。

アメリカ大陸における多様性

 東洋人はアメリカ大陸における白人や黒人を不自然であると審判する。なぜなら、東洋人は大陸とその上の人間の関係を分析する。もしシロクマがインド大陸に存在するならば、その状態は不自然であると審判する。

しかし、もし君が分析的思考を重視するならば、君はシロクマの身を分析する。だから、君はシロクマがインド大陸に存在することの不自然さを審判できない。なぜなら、君はシロクマとインド大陸との関係を分析できない。

3:人間の本質と分析的思考

 分析的思考の代表例は人間の本質である。この信仰では、渇望大原則により、君は人間の本質を渇望してきた。もし君が関係性思考を採用するならば、君は人間の本質を認識できないだろう。

一般的に、君が対象の本質を欲するとき、君は分析的思考にそって君の肉体を操縦する。詳細は以下である。

4:正当化

分析的思考の正当化

君が人間の本質を渇望するとき、君は分析的思考にそって君の脳を操縦する。君が人間の本質を渇望するとき、もし君が関係性思考を採用するならば、君は人間の本質を認識、または信仰できない。その状態は渇望大原則に反する。その原則に反することは正当でない。

関係性思考の正当化

 君が外交や歴史を思考するとき、君は関係性思考を採用する。なぜなら、もし君がその思考を採用しないならば、君は先住地や原住地を乗っ取られるだろう、君は一方性から導かれる奴隷状態になるだろう。

先住地や原住地の乗っ取り気は損害を君に与える。先住地や原住地の喪失は黒人奴隷や近代におけるアフリカ分割や東南アジアの奴隷政策や搾取地を肯定する。

2つの関係における一方性は君を奴隷状態にする。奴隷状態は君を物質的世界から分岐された状態から非分岐的な状態に戻すだろう。この信仰の目的は分岐であるので、君奴隷状態から分岐するように、君の肉体を操縦する。

5 おまけ 対象それ自体と引き出し

 君は対象それ自体を棚と認識する。君は対象の引き出しを対象の性質と認識する。例えば、ある人間が存在する時、その人間は一つの棚として認識される。

その人間の知的能力はその棚のある引き出しxに対応する。その時、東洋人は知的能力それ自体を分析できるようになる。その棚にはデザインを司る引き出しyが存在する。

その時、君は引き出しxと引き出しyの関係αを分析する。この関係アルファに対する分析が関係的思考である。

 人間が船を定義しようとする時、その行為は容易でない。だから、君は船それ自体を棚に対応させて、船の性質を棚の引き出しに対応させる。定義の困難さを回避する。

君が人間を認識する時、人間の肉体に運転手のようなヌシを信仰する。そのヌシを本棚に対応させて、人間の性質を引き出しに対応させる。

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