個人と社会の二重性

俺らの宗教(主体)
家紋 wikipedia

 この信仰では、君は個人と社会の両方を重視する。この信仰は社会性を君に与える。君はどちらか一方を否定しない(否定行為の正当性)。

1:個人と社会の二重性

 個人と社会の二重性:個人と社会の二重性とは、個人と社会の両方を兼ね備えた状態である。

 社会と個人の順序は個人→社会→個人→のような順序であるだろう。これは経験と理論の関係に似ていて、経験→理論化→経験→のような順序に似ている。君が社会的な産物である景観を思考する時、君は個人と社会の順序を思考する。

個人が局所であると仮定すると、社会は大局である。この信仰では、大局→局所であるので、君は社会を破壊しない程度に個人を重視する。

2:個人と社会の二重性の具体例

死生観

 君は個人的な死生観と社会的な死生観の両方を持つ。この信仰での社会的な死生観とは俺のヌシの復活であり、その死生観は社会の形成を促す。

一方、君は個人的な死生観も持つ。当然、死んだら終わりでも良い。しかし、その死生観は社会の形成を促さない。その死生観は動物や狩猟民族と同じ死生観である。

この信仰は分岐であるので、君は社会的な死生観を持つように君の肉体を操縦する。ただし、否定行為に関する正当性によって、君は個人的な死生観を否定しない。

歴史

 君は歴史における二重性を持つ。君の先祖の歴史は社会性を持たない個人的な歴史(先祖歴史)である。それに対して、日本国の歴史や大和民族の歴史は社会的な歴史である。

狩猟民族は組織を形成しないが、彼らもまた先祖史を持つ。しかし、彼らは社会としての歴史を持たないように思える。先祖史を持たない人間は社会としての歴史を認識できないし、社会としての歴史を持たない人間は人間でなく動物である。

例えば、中間種は彼らの歴史を持たないので、彼らは常に被害者であってきた。彼らは誰で歴史における責任や義務を持っていない。なぜなら、彼らは社会としての歴史を持っていない。

個人的責任と組織的責任

 君は組織における個人的責任と組織的責任の二重性を認識する。例えば、日本人の知の肉便器は社会性を持たない狩猟民族である。だから、彼らは組織としての責任を認識できない。

具体例として、電網上の知の肉便器が契約相手をばか・あほ・死ね・とんでも・ゲーデルの不完全性定理を理解できないクズと呼ぶ。その後、契約相手が苦情を彼らに入れる。すると、彼らは彼らはそれらを発言したわけでないと返答する。

つまり、彼らはばか・あほ・死ね・とんでも・ゲーデルの不完全性定理を理解できないクズという発言に関する組織的責任を認識できない。日本国の大学では、大学の自治が認められてきたので、構成要員の侮辱的な発言の責任は組織としておう。

 さらに悪いことに、彼らは社会性を持たないので、歴史も認識できない。だから、彼らは今は違うと返答して彼らの組織に関する歴史をなかったことにしようとする。

肉体と建築のデザイン

 肉体や建築も社会性が関係する。なぜなら、宗教や信仰が社会性を与えて、その社会性が自己デザインに関する統一された善悪の判断を与える。建築を見ればわかるように、建築のデザインも肉体のデザインも社会的なものの産物である。

君が東洋人の肉体の自己デザインを思考する時、君は社会的な産物としての東洋人の肉体の自己デザインと個人的な自己デザインの両方を両立させよ。君は君の肉体のデザインをあくまで社会的なものの産物として思考せよ。

ただし、俺らは製造品でないので、個人としての社会的なデザインも追求する。

自己の意見

 日本人の知の肉便器は白人の意見ばかりを主張するとき、俺らは俺らの違和感を彼らの行為に覚える。なぜなら、彼らは彼ら自身の意見を持っていないが、社会上の意見を持っている。

俺が彼らを見るとき、彼らは何も彼ら自身で審判・判断・認識できないように見える。何かを判断できないことは物質や動物と同じである。だから、分岐大原則によって、自己の意見が存在しないことは正当でない。

言語

 言語は個人的な思考のための言語と社会的な意思疎通のための言語をもつ。君はその両方を重視する。君が数学や理論物理を一人で思考するとき、君は君用言語(独白)を使っている。

それが個人用言語である。一方、発話としての言語は社会性言語である。君はその両方を重視する。

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