人間の本質と要素

俺らの宗教(主体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/素粒子

これは「人間の本質と形式/」の続きである。君が人間の本質を思考するとき、君は分析的思考に沿って君の脳を操縦する。

1:人間の本質は要素でない

 人間の本質は人間の要素でない。もし人間の本質が人間の要素であるならば、胎児は人間である。そのとき、中絶行為は対峙に対する殺人行為である。しかし、君は中絶行為を殺人行為と認識しない。従って、人間の本質は要素でない。

また、もし人間の本質が人間の要素であるならば、猿やチンパンジーも人間である、または人間となる可能性がある(猿と人間は異なる形を持つけれども)。そのとき、猿を殺した人間は殺人行為で罰される。しかし、俺も君もそれを拒否するだろう。

さらに、もし人間の本質が人間の要素であるならば、人間のバラバラの細胞は人間である。そのとき、人間の細胞を処分した生物学者や医学研究者は殺人行為で罰される。しかし、俺も君もこれを拒否するだろう。

2:分解と階層〜分解しても人間の本質はわからない〜

 理論物理学者は物質の最小要素を分析してきた。生物学者は生物の遺伝子を研究してきた。人間の最小単位(素粒子)や人間の遺伝子(設計図)やそこから出てくるタンパク質は人間の本質を明らかにするか?

その回答はいいえである。もし人間の本質が人間の肉体の最小単位であるならば、素粒子それ自体、または最小単位の集まりそれ自体が人間である。もし人間の本質が人間の肉体の最小単位であるならば、人型ロボットもラブドールもカエサルの彫刻も人間である。なぜなら、君がそれらを最小単位まで分割すれば、それらは人間と同じ要素を持つ、つまり人間である。

だから、君がその彫刻やラブドールを破棄する時、もし人間の本質が最小単位であるならば、君の行為は殺人行為として罰される。また、もし人間の本質が遺伝子それ自体であるならば、人間の遺伝子をもつ対象それ自体(細胞を含む)が研究室で破棄される時、その行為も殺人行為として罰される。

3:正当化

 上記を見ればわかるように、俺と君は人間の本質を要素と認識してこなかった。俺と君は人間の本質が要素でないという俺と君の認識を正当化する。しかし、要素の正当化は形の場合と異なり難しいように見える。

犬は非分岐的な対象であるので、犬の本質を犬の形と認識する。もし犬よりも非分岐的な対象がその対象の本質を対象の要素と認識するならば、人間の本質が要素でないという俺と君の認識は正当化される。または、科学の対象は物質的世界に関する使用可能な情報の製造であり、要素に関する情報をそれに含まれる。

要素とは物質的世界に含まれる、またはそれに近い。だから、もし俺と君は人間の本質を要素と認識するならば、その認識は分岐というこの信仰の目的に反する。だから、君は人間の本質を要素と認識しない。

 または(かなり苦しい正当化であるが)、原子や分子やタンパク質は対象の要素や重力?に反応して、結合したり離れたりする。君がこの状態を犬が犬の本質を犬の形と認識するよりも、物質的世界により近い非分岐的状態と認識する。だから、君は要素を人間(対象)の本質と認識するという非分岐的状態から分岐するように、君の肉体を操縦する。