人間の本質は自由か?白人ハーフの子供を産んで自慢したい?

俺らの信仰
ウィキペディア コンゴとベルギー
EXID – Up & Down (Chinese Version) Official Music Video

 結論

 俺は人間の本質とは自由でないと審判した。

 その昔ヤマタノオロチに「人間の生け贄を捧げたら大蛇の気分がよくなるから生け贄を捧げよう」って考えた野蛮な土人がいたとしまして、多くの土人が賛成しました。賢い人間がやって来て「大蛇を殺せば良いのでは?」と考え大蛇を殺しました。土人は大蛇を殺す事を考えついた人の賢さを崇めましたとさ。

 その昔ゲオルギオスがシリア辺境を旅した時、ドラゴンに生け贄を捧げる国に到着した。人々は家畜を捧げ尽くしてしまったので今度は人間を生け贄にしようと考えた。くじ引きで選ばれた生け贄は王の娘であった。ゲオルギオスはその話を聞き「ドラゴンを退治すれば良いのでは?」と提案しドラゴンを殺した

 善良な土人が考えつく問題解決法が、問題そのものよりも残酷で野蛮って話なのね。あー怖い怖い。

https://twitter.com/photonka/status/961711868745150464

0:背景

 西側西洋世界では、自由が人間の本質とされた。なぜなら、彼らは奴隷文明を採用してきたので、奴隷が自由でないことに接してきた。だから、彼らは人間と奴隷の境界を自由であるか、ないかとして人間の本質を定めた。

一方、イスラム教徒の中東小人種は人間の本質を神への服従と認識した。彼らは人間とそうでないものを区別するのは自由でなく義務であり宗教であると認識した。俺の印象によると、彼らはより優れているように見える。

俺が白人ハーフ(正確には西側の白人)の子供を産んで自慢したいという歩く胎児を見る時、人間の本質とは何かについて思い巡らす。この種の猿は多様性や国際化を掲げて納得や共感や同意を求める。そして、猿は決まって「自由」や「女性の自由」と返答する。

 猿は反論されると、必ず民族主義やナチスやヒトラーを持ち出す。しかし、彼女の行為こそが白人至上主義であり、レーベンスボルン計画のようである。俺にとっては、この計画もゲルマン民族の遺伝子乞食の一種であった。

生命の泉」計画はドイツ国内を中心に展開された政策だが、ヒトラーはノルウェー人などの北方人種を「より純粋なアーリア人」とみなし[3][出典無効]、ドイツ人のアーリア化を推進するため、ドイツ人ナチ党員男性とノルウェー女性との性交渉を積極奨励した(他のナチスドイツ占領地域では、このような行為は禁じられていた)。そのため、ノルウェーではドイツ人の父とノルウェー人の母の混血児を対象としたレーベンスボルン施設が存在した。1940年から1945年までの間に、ノルウェー国内10カ所に設置されたレーベンスボルン運営の産院で出生した子供は約8000人おり、その他の施設で出生した約4000人と合わせ、約12000人の子供が駐留ドイツ兵とノルウェー人女性との間に生まれたとされる。[要出典]

https://ja.wikipedia.org/wiki/レーベンスボルン#ノルウェーのレーベンスボルン計画

さらに悪いことに、生まれてくる子供も日本人を含む有色人種を人種的に軽蔑してきた。彼らは母親が白人男性の遺伝子に乞食した遺伝子を見せびらかして、彼らは有色人種を人種的に侮辱してきた。しかし、彼らはなぜか日本人の文化や東洋人の文明やお金に依存してきて、彼らは白人と真剣に対峙してこなかった。

この種の中間種はスペイン系フィリピン人や正体不明の中南米人に似ている。彼らは彼ら自身の遺伝子も自己の文化も文明も言語も、そして宗教も彼ら自身で作ろうとしない。彼らは何かあれば白人の遺伝子(金髪碧眼)に集ろうとする。そして、彼らは純粋な白人よりも失礼であり、東洋人を見下そうとする(当然、歪んな劣等感ゆえである)。彼らは何かを彼ら自身で創造することなく他人の遺伝子や文化に永遠に乞食し続けるだろう。

 俺はこの種の行為に強烈な違和感を覚える。おそらく、俺の違和感こそが人間の本質に関係する。では、なぜそれがおかしいのだろうか?もし人間の本質が自由意志であるならば、彼らの行為は白人男性の遺伝子に対する自由な選択の結果であり正当であるはず、、、。

1:俺と君の違和感とは?

 上記の日本女やフィリピン女は白人男性の遺伝子に乞食してきた。たとえ君が税金を女やフィリピンに貸すとしても、彼らは東洋文明に貢献しないで白人男性の遺伝子に乞食しようとする。その後、猿どもはなぜか有色人種を人種的に侮辱しようとする。

無意味さや無目的さと無駄さ

 違和感の一つは彼らは生きている意味や生きている目的があるのかということである。もし彼らが白人になりたいならば、彼らは白人の養子を取れば良い。

もしこの種の行為が自由な選択肢であり、それが人間の本質であるならば、彼らは実験室で金髪碧眼の子供を作れば良い(日本女の本音とは自分で産んで自慢したい、ママ友同士のマウントに使いたいであるので、工場生産には反対するだろう。なぜなら、それじゃ自慢にならない。)。筋トレも勉強もせずに、工場生産で知的でマッチョな人間を生産すれば良い。彼らの行為の全ては無駄である。

彼らは生きている意味を持っていないように見える。もし白人男性の遺伝子に対する乞食行為が許されるならば、彼らは全ての行為を短縮化して初めから白人になれば良い。君が自由な選択が人間の本質であると仮定するとき、白人の遺伝子に乞食する君は生きている意味や目的を失う。つまり、君は人間でなく動物に近くなる。自由な選択肢という仮定から、動物的な状態が導かれる。

 もし東洋人からニュートンやアインシュタインが出ないならば、彼らの遺伝子に乞食して子供を工場で生産すれば良い。日本人を含む東洋人がわざわざ彼ら自身で理論物理や数学を勉強する必要はない。教育費の不要性だけでなく、彼女ら自身の存在が不要である。

この種の感情は女性の教育やフィリピン教育、そして救助行為にも応用される。結局、女性自身が女性教育の不必要さを暗に証明している。実際、女に必要なのは教育でなく、子宮のみであり、その行為は人工子宮で代用できる。彼女らの人生とはより優秀な男性の精子を孕んで強い子供を産み自慢することである。彼女らの人生とは文明を創造して他の文明と対峙することでない。

乞食は動物〜なぜ白人の遺伝子が存在するか?

 また、俺が日本女やフィリピン女の乞食行為を見る時、彼らは人間でなく動物のように見える。人間と動物の違いの一つは乞食の有無である。

そもそも、なぜ白人の遺伝子が存在するだろうか?なぜなら、白人の先祖が彼らの遺伝子を彼ら自身で創造してきた。その結果、彼らは彼らの遺伝子を獲得してきた。

しかし、上記の猿どもは彼ら自身の肉体や遺伝子を彼ら自身で創造しようとしてこなかった。彼らはとにかく集ろうとする。彼らはまるで動物のように集りがやめられない。

 彼らは彼ら自身の遺伝子を彼ら自身で創造しようとしない。彼らは白人に遺伝子を創造してもらって、あとからそれに乞食しようとする。フィリピンや日本女の歴史の全てがこの乞食である。

2:最終的な審判

 審判

人間の本質の一つは自己の創造である。

正確には、人間の本質に関係したものの一つは自己の創造である。

 この信仰の一つは分岐である。物質は無から分岐して機械となり、動物は物質から分岐して自由となった。そして、人間は動物から分岐して、創造的になった。

俺らの肉体は物質的な世界に属するので、それらは自動的に作動する。その世界では、君は君の肉体の和合(デザイン)を君自身で創造する意志を持っていない。

君の蟲は動物的な世界に属するので、それらは自由に運動する。その世界では、君は好きなように自由に動き回れる。

君のヌシは人間的な世界に属するので、それは創造的に生きる。その世界では、君は義務を持ち君の肉体の自己和合(デザイン)を君自身で創造できる。

 君は動物的世界から分岐したので、君は君の自己を創造できる。もし君が他者の遺伝子やその他の何かに乞食するならば、その行為は自己の創造の否定することである。つまり分岐の否定である。

この信仰の目的は分岐であるので、君は君の自己を君自身で創造するように君の肉体を操縦する。もし人間の本質が自由であるならば、白人の遺伝子に乞食することが間接的に肯定される。遺伝子乞食はその状態は信仰の目的に反するので、遺伝子乞食(行為)は正当でない。

もし君が自己の創造を放棄するならば、君の放棄行為は君の人間の本質を否定する。だから、たとえある人間が君を処分するとしても、君は人間でないので、その行為は単なる動物のサッ処分である。

 まとめ 動物的世界からの分岐→人間の本質の獲得=自己の創造。もし君が自己の創造を否定するならば、その行為は君の人間の本質を否定することである。君は動物的世界からの分岐を否定したので、君は人間でなく動物である。だから、そのとき、殺人行為は君に適用されない。

タイトルとURLをコピーしました