人間の本質と人種や色

俺らの信仰
ウィキペディア コンゴとベルギー

 この信仰では、君は人種や民族や色を人間の本質と認識しない。これらは重要である。

1 人種や民族は人間の本質でない

 人種や民族は人間の本質でない。もしxが東洋小人種であるならば、xは人間である。君がこれを正しいと仮定するとき、日本人の知の肉便器が人間となる。

この信仰では、君は彼らを人間と認識しない。だから、上記の論理は適用されない。つまり、たとえxが東洋小人種であるとしても、xは必ずしも人間ではない。

さらに、もしxが東洋小人種であるならば、xは人間である。君がこれを正しいと仮定するとき、東洋小人種の胎児が人間となり、中絶が殺人行為になる。この信仰では、君は中絶を殺人行為と認識しないので、君はこの論理を使用しない。

2 人種や民族の重要性 

 人種や民族の重要性はヌシの存在の証明である。肉体の中にヌシが存在するので、君は君の肉体を想像できる。君の先祖が君の肉体を創造してきた事実が君の先祖の肉体の中にヌシが存在してきたことの間接的な証evidence?(証明)である。

もし君の肉体の中にヌシが存在するならば、君は君の肉体を君の意志で想像できるだろう。そして、君は君の人種や民族を君自身で創造し続けることができる。その事実それこそが君の肉体の中にヌシが存在していたことである。

君にとって、君の肉たとはあくまで君の肉体の中にヌシが存在していることの証明である。例えると、もし家や車がそれらのデザインを勝手に創造できるならば、家や車の中に何が存在することの証明になる。

3 正当化

 人種や民族が人間の本質でないことの正当化は分岐的大原則によって正当化される。まず、君は人種や民族が遺伝的な対象であり、それらは物質的世界に属する対象であると認識する。

つまり、人種や民族は非分岐的な状態である。この信仰の目的は分岐であり、人間の本質は物質的世界及び蟲的世界から分岐されたヌシである。人種や民族のような非分岐的対象を人間の本質と信仰することはこの信仰の目的である分岐や主に対する信仰に反する。

したがって、君ば人間の本質を人種や民族と認識しない。ただし、それらは君にとって重要であるので、君はそれを否定しない。その重要性は数理能力や君の肉体のデザインと同程度である。

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