女性は男性と比較して論理的でないと指摘されてきた。実際、俺は女性の話は非論理的かつ一貫性を持っていないと審判した。では、その原因はなんだろうか?
一般的に、数理情報の製造者は女性の非論理性を生物学や脳科学、そして遺伝子に求めてきた。しかし、俺は女性の非論理性へのその接近法に反対する。なぜなら、女性の非論理性とは女性の社会性の欠如である。
要するに、女性は動物や狩猟民族と同じである。だから、女性は社会性を持たない。その結果、女性は社会性の産物である会話行為、そして会話行為の一形態としての論理性を持ってこなかった。
1:社会性と論理
日本人は狩猟民族であるので、彼らは論理の意味を認識できない。論理とは社会的な産物である。人間が人間社会を形成するとき、人間は会話に関する取り決めを決定する必要がある。
その結果として、論理が生じる。論理とは会話行為の一種であり、会話行為は社会性行為の一種である。
しかし、女性は社会性を持たないので、彼女らは非論理的である。この状態は動物や未開の狩猟民族が非論理的であることに似ている。
人間が人間社会を形成する時、自己の意見を正当化する必要がある。その一つが論理である。しかし、狩猟民族は人間社会を形成する必要がないので、彼らは自己の意見を正当化する必要がない。
だから、自己の意見の正当化の産物である論理が狩猟民族の社会で発達してこなかった。女性は男性が作った牧畜・農耕民族に寄生した狩猟民族であるので、彼女らはいつまで自己の意見を正当化しようとしない。
彼女らは男性に意見を聞いてもらおうとする。その結果、女性はいつまでも非論理的であり続けてきた。
女性は上記のはじめの部分を通過していない。牧畜の発生は約1万年前である。だから、女性の生きている世界は一万年前よりも古い世界(数万年前からホモ・サピエンスの誕生)である。
2:不安に弱い
女性の非論理性は脳科学に関する遺伝子でなく、不安遺伝子であるように思える。彼らは不安を感じると、猿のように喚く。彼女らは相手が黙ってくれると期待する。
その後、彼女らは安心する。このように、女性は現実でなく安心感を求めて生きるので、彼女らは非論理的であってきた。
この不安に対する女性の弱さは男女の脳には性差が存在しないという意見にもつながる。女性は男性と一緒じゃないと嫌であるので、男性と女性にはなんらかの差があることを嫌う。その結果、女性は科学や現実を歪めて、女性と男性の脳には性差が存在しないと主張する。
3:審判能力や認識能力の欠如
女性は女性自身が論理的であるかを審判できない。だから、彼女らはいつまでも非論理的である。女性は人間としての審判能力や認識能力を持っていない。
俺が女性の誤審や誤認を眺めるとき、女性は痴呆老人と同じであるように見える。女性はフィリピン人と同様に、自己認識を持たない。女性の優秀さも女性の劣等さも存在しないだろう。
なぜなら、女性は他者から人間的に分岐されていないので、自己を持たない。中間種が自己認識の崩壊を経験するように、女性も自己認識の崩壊を経験する。そして、女性は男性や白人になりたがる。
おまけ:なぜ東洋人は論理を発見できなかったか?
東洋人は高い知的能力をもつモンゴロイド人である。しかし、彼らは論理を発見できなかった。なぜだろうか?
なぜなら、東洋人はコーカサス人種よりも社会性を持ってこなかった。東洋人の知的能力は古代ゲルマン人の知的能力に近い。古代ゲルマン人の遺伝的な優秀さはおそらく古代ローマ人よりも優秀であっただろう。
しかし、彼らは社会性を持たなかったので、たとえ彼らが古代ローマ人よりも優秀でったとしても、彼らは文明を作れずチビのローマ人にボコボコにされた。
繰り返すが、論理は会話行為の産物であり、会話行為は社会性の産物である。だから、会話できない人間は論理的でないし、社会性を持たない人間は会話できない。