人間の本質と数理能力や記憶能力

俺らの宗教(主体)
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 人間の本質はしばしば人間の知能と考えられてきた。なぜなら、人間と動物の違いは知能である。だから、白人は知能の低い黒人を奴隷としてきた。

では、人間の本質たる知能とは数理能力や記憶能力であるか?この信仰では、君は人間の本質たる知能を数理能力や記憶能力と認識しない。数理能力は数学に関する能力であり、記憶能力は情報を記憶する能力である。

ただし、君は数理能力や記憶能力を重要であると審判する。

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1:人間の本質や知能は数理能力と記憶能力でない

 電子計算機は高い数理能力と記憶能力を持つ。その計算能力や記憶能力はすべての人間の数理能力をゆうに超えている。電子計算機は物質的世界に属する。

もしxが高い数理能力及び記憶能力を持つ対象であるならば、xは人間である。もしこの文が正しいならば、電子計算機は人間である。しかし、君は電子計算機を人間と認識しない。従って、人間の本質や知能は高い数理能力や記憶能力でない。

また、もし知能指数が電子計算機のような知的能力であるならば、知能指数も人間の本質やそれに関係した知能を表さない。知能指数も数理能力も記憶能力も重要であるが、それらは何らかの本質でない。その重要性は肉体のデザインと同程度の重要性である。

2:知能と人間の本質

 人間の本質は知能に関係するように見える。この考えが正しいと仮定するとき、知能とは何であるか疑問に思う。以下で、俺はいつかの案を提示する。

それは人間にあって電子計算機に存在しないものである。

善悪の判断

 善悪の判断は人間特有の行為である。物質的世界も電子計算機も善悪を下せない。さらに、知能指数と善悪の判断を下せう能力は異なる能力である。

審判や認識や意味の把握

 電子計算機は定義を読み込むことができる。しかし、それは世界を認識したり、審判したりできない。さらに、電子計算機は意味を把握できない。

電子計算機は数の定義を読み込むことができる。それは数を認識できない。

創造

 電子計算機は高い数理能力を持つ。しかし、それは何かを創造できない。例えば、創造の一つには、自己デザインの創造が存在する。

3:正当化

 上記の正当化は分岐的大原則によって行われる。電子計算機は物質的世界に属する。そして、電子計算機は高い数理能力や記憶能力を持つ。この状態は非分岐的状態である。

だから、君はこの非分岐的状態から分岐するように君の肉体を操縦する。

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