人間の本質と自由意志

俺らの宗教(主体)
https://www.youtube.com/watch?v=7d5f69QoBnw
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 この信仰では、君は人間の本質を自由意志を認識しない。西洋では、人間の本質は自由であると認識されてきた。だから、言論の自由や学問の自由や航海の自由が重視されてきた。

 取り決め(自由意志と動物) もしxが哺乳類や鳥類であるならば、xは自由意志を持つ動物である。

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1 人間の本質は自由意志でない

 君は人間の本質を自由と認識しない。例えば、君が空を自由に飛ぶ鳥やライオンを見るとき、それらの動物は自由であるように見える。君は鳥を観察した後、君は鳥は自由に動いているように見えると審判する。

少なくとも、鳥は機械や家畜や奴隷のように生きていない。もしxが自由意志を持つ対象であるならば、xは人間である。君がこの論理を正しいと仮定するとき、鳥は人間となる。鳥に対するさっ処分は殺人行為になるだろう。

したがって、たとえxが自由意志を持つ対象であるとしても、xは必ずしも人間でない。君はこの論理を使用する。したがって、君は人間の本質を自由意志と認識しない。

2 人間の本質と義務

 この信仰では、君は人間の本質をヌシと認識する。しかし、君は自由意志の代わりに義務を重視する。なぜなら、人間にあって動物にないものは義務である。動物は本能に沿って運動するが、それは義務的行為でない。

義務的行為は自由意志や自由な選択よりもより人間の本質に近い。ただし、この信仰では、君は義務どれ自体を人間の本質と認識しない。義務はあくまで重要なものや人間の本質に近いものとする。

あるいは、もし君のヌシが君に肉体の中に存在するならば、君は義務に沿って君の肉体を操縦することができる。つまり、義務とは君のヌシの存在の証や証明である。

 分岐的な世界観では、動物は物質的世界から強く分岐された。その結果、動物は自由意志を持った。人間はその動物的な世界から強く分岐した。だから、人間はヌシを持ち、その帰結として義務によって肉体を操縦できるようになった。

そして、人間は宗教や文字を創造できるようになった。そして、人間は彼らの肉体の自己デザインを彼ら自身で創造できるようになった。

3 正当化

 正当化は分岐的大原則によって正当化される。動物は自由意志を持つ。この状態は非分岐的状態である。

つまり、自由意志は蟲的世界に対応する動物的世界に埋め込まれた非分岐的な対象であるので、君は自由意志を人間の本質と認識しない。一方、義務はより分岐された状態や概念である。だから、君は義務を自由意志よりもより重視する。

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