人間の本質と創造

俺らの宗教(主体)
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 これは「http://oreranitsuite.com/2019/09/25/何かによって選択された人々と自由意志と創造/」の続きである。

この信仰では、君は創造行為を人間の本質と認識しない。しかし、創造行為は人間の本質に関係する。つまり、君は創造行為を君のヌシの存在の証であると認識する。

 物質的世界及び蟲的世界からの分岐→ヌシの発生→創造行為→

1 創造行為

 認識(創造行為) 創造行為とは、物質的世界及び蟲的世界に存在しない分岐的対象または主体を新たに作りだす行為である。

 ヌシ的世界から分岐された対象や主体を新たに作ることも創造行為である。分岐的対象とは物質的世界及び蟲的世界から分岐された対象である。

例えば、公平や数は物質的世界や蟲的世界には存在しない。もし君がそれらを新たに作り出すならば、その行為は創造行為である。よくある勘違いとして、新たしい製品(物質)を新たに作り出すことは創造行為でない。なぜなら、製品は物質的世界に属する。

一部の科学者は新たな原子を作ることを創造行為と認識する。しかし、この行為は創造行為でない。ある宗教家が新たな神に変わる何かを作り出すとき、それは創造行為である。なぜなら、その何かは物質的世界や蟲的世界に存在しない。

2 人間の本質と創造行為と分岐

 創造行為は人間の本質でないが、人間の本質に深く関係した行為である。ここでは、なぜ創造行為が人間の本質に関係したかを述べる。その関係には、分岐とヌシの存在の証明がある。

 経験則 もしxが物質的世界及び蟲的世界から分岐された対象であるならば、xは分岐的対象や主体を創造することができる対象である。

上記を簡単に述べると、人間は物質的世界から少し分岐した存在である。だから、人間は創造行為を行える。その結果として、人間は彼ら自身の言語や文字や宗教や文明や肉体のデザインを彼ら自身で創造できる。

もし君がこれらを創造できないならば、君は物質的世界から分岐された人間でない。君は物質的世界に埋め込まれた対象である。

  xは分岐的対象や主体を創造することができる対象でないならば、xが物質的世界及び蟲的世界から分岐された対象でない。

3 印象的な例〜白人小人種と中東小人種

 俺は白人を見た後、俺は上記を思いついた。白人は遺伝的に優秀であるように見える。しかし、白人は彼ら自身の宗教も文字も社会制度も彼ら自身で創造できてこなかった。これは俺にとって不思議であった。

白人の肉体のデザインも知能も運動能力も劣等でなくむしろ優れている。にも関わらず、彼らは彼ら自身の宗教も文字も社会制度も彼ら自身で創造できてこなかった。キリスト教もユダヤ教もイスラム教もおそら中東小人種や地中海小人種の業績であっただろう。

中東小人種の知能指数は白人のそれよりも劣等であるのに、彼らは彼ら自身の宗教や文字や社会制度を彼ら自身で創造してきた。なぜ白人は遺伝的に優秀であるのに、彼らは人間の本質に関係したもの(宗教など)を創造できてこなかったのか?その答えが上記である。

 つまり、白人は物質的世界により埋め込まれた存在であってきた。それに対して、中東人は物質的世界からより分岐した存在であってきた。中東人は分岐的対象であるので、彼らは物質的世界に存在しない対象(宗教や文字や文明)を創造することができてきた。

白人の優秀さとは人間としての優秀さでない。彼らの優秀さとは高級車の優秀さである。たとえ君がその高級車をより優れた方向に変形させ続けるとしても、創造行為は行われない。

なぜなら、創造行為とは物質的世界から分岐された行為である。たとえ白人が彼らの遺伝的な優秀さを賛美するとしても、彼らは男女公平が良いか男女平等が良いかを判断できない。その結果、彼らはイスラム教徒の中東小人種に敗北しつつある。

 さらに、白人は自由な選択を重視してきた。彼らが男女平等か男女公平かを選択するためには、誰かが男女公平か男女平等かを創造する必要がある。なぜなら、物質的世界には、公平や平等は存在してこなかった。

創造されたものを自由に選択するのは、子供だけでなく動物すら可能である。動物は木になった果物を自由に選択して食してきた。しかし、創造行為である農業(これも中東小人種に関係する)は人間のみの行為である。

中東小人種の文明的な優秀さとは彼らが白人よりも物質的世界から分岐されてきたことに関係しているように思える。このちょっとした分岐が彼らによる創造行為を可能にしたと俺は憶測してきた。

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