歴史は学問か宗教(信仰)か?知の肉便器

俺らの信仰

 一般的に、歴史は宗教でなく、信仰とみなされてきた。この信仰では、君は君自身の歴史を信仰から導く。以下で、俺はその理由を提示する。

白人との対峙を恐れる日本人の学者

 日本人の大学教員は人間でなく実験動物的であった。彼らは訳もわからず白人の真似を繰り返してきた。日本人の中流層が彼らの真似事を咎めて、日本人の歴史がなんとか描かれてきた。

ユダヤ教徒の白人は加害者か?

 日本人の学者気取りはキリスト教徒の白人の真似事を繰り返して、ユダヤ教徒の白人をかわいそうな被害者として扱おうとする。しかし、彼らは白人であるので、ネグロイド人種やモンゴロイド人種に対して加害者側である。だから、彼らがユダヤ教徒の白人を被害者として扱うことは歴史における誤審及び誤認である。

また、彼らはjewをユダヤ教徒でなくユダヤ人と呼ぶ。俺の憶測によると、彼らはユダヤ教徒の白人を白人と認識してきた。さらに、彼らはユダヤ教徒の白人は自己認識能力を持っていないので、自己を誤認してきたと感じてる。

黒人とのアファマーティヴ・アクション

 日本人の学者気取りはキリスト教徒の白人の真似をして、アファマーティヴ・アクションを黒人に与えようとしてきた。これには、2つの問題が生じる。1番目とは、モンゴロイド人種はネグロイド人種の奴隷を取ってきていない。2番目は、彼らはキリスト教徒でないので、慈悲深さを持つ必要がない。

したがって、この政策は歴史的にも宗教的にも正当でない。彼らは黒人を可哀想な被害者として扱い、同情しようとする。モンゴロイド人種はネグロイド人種の奴隷を採用してこなかったので、この種の同情行為は正当でない。

上記の行為の本音

 上記の発言の本音とは、日本人の学者気取りは白人と対峙したくない、白人に嫌われるのが怖いである。だから、彼らは彼ら自身の歴史を白人(ヤマタノオロチ)に供物として生贄に捧げようとする。結局、日本人の学者にとって、彼ら自身の不安が全てであり、真実の歴史などどうでも良いのだろう。

彼らは日本人のお金と保護及び加護に甘えたい。同時に、彼らは白人に認められたい、白人に嫌われたくない、白人と対峙したくない。だから、彼らは日本人のお金に乞食して依存しつつ、彼らは白人ごっこを繰り返す。

彼らは瀬戸内寂聴と同じであり、自分のことしか考えていない。

俺の審判

 取り決め 信仰が歴史を導く

 信仰は善悪の判断を人間に与える。だから、歴史は歴史の真実を明らかにすることは良いか悪いかを与える。その結果、信仰は白人の真似事や不安からの逃避を防止する。

たとえある人間が豊富な知識を持つとしても、もしその人間が他人に屈するならば、彼は彼自身の歴史をかけない。彼は白人に媚びた歴史をかく。

上記では、文化を守るのは国家でなく宗教であると呟かれた。俺は歴史を守るのは学問や大学でなく宗教や信仰であると主張する。なぜなら、宗教や信仰は歴史を守ることは正当であるという判断を与える。

 俺の審判 日本人の学者気取りは歴史や国家を認識できない。

 日本人の学者気取りは宗教や信仰を持たないので、彼らは歴史や国家を認識できない。宗教や信仰は社会性を人間に与える。その結果として、歴史や国家が社会性の産物として生じる。

宗教や信仰なき学者気取りは白人との対峙からくる不安に勝てない。彼らは今の不安と今の安心のみを求めてきたので、歴史がどう書かれようが、国家がどうなろうが知らない。なぜなら、人間は死んだら終わり。

死んだら終わりというのは真理である。彼らは真理を主張したのだから、日本人はそれに納得して共感して、彼らの醜く卑しい我欲を許して!。しかし、彼らはお金が欲しい、研究費が欲しい。

単語

 ここで、いくつかの単語を導入しよう。

 認識 知の肉便器とは、自己の歴史をヤマタノオロチに捧げる動物である。自己の歴史には、自己の視点及び審判、認識、判断も含まれる。くちゃるとは、自己の歴史をヤマタノオロチに捧げる行為である。

 例えば、知の肉便器はアメリカ大陸の多様性を賛美してきた。しかし、その多様性は彼らモンゴロイド人種の虐殺の結果である。それを賛美することは知の肉便器的行為(くちゃる)である。

特に、知の肉便器は審判や認識や判断を異常に恐れる。なぜなら、彼らがなんらかの判断を下すとき、彼らはヤマタノオロチと対峙する必要がある。

タイトルとURLをコピーしました