心理学での実験の再現性と問題[研究への信頼?]

 「つまみ食いを我慢できる子は将来成功する」「目を描いた看板を立てると犯罪が減る」――。有名な心理学の実験を検証してみると、再現できない事態が相次いでいる。望む結果が出るまで実験を繰り返したり、結果が出た後に仮説を作り替えたりする操作が容認されていた背景があるようだ。信頼を失う恐れがあり、改めようとする動きが出ている。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO53324330T11C19A2MY1000/

 心理学は胡散臭いと指摘されてきた。俺の印象でも、心理学と経済学は胡散臭い。そして、社会学は学の水準に達していない。

以下で、俺は再現性の問題を提示する。

契約相手に対する損害は?〜学問の自由の弊害〜

 俺の再現性のない仮説 もし科学者が契約相手に対する損害を考慮して刑罰を与えるならば、心理学における再現性のなさ実験の数が減少する。

 科学事業は公共事業である。だから、科学者(職業)は契約相手に対する損害を賠償する。もし心理学が借りたお金をきちんと返却できないならば、彼らはその損害を賠償しなければいけない。

学問の自由の問題〜刑罰の欠如〜

 実験の再現性のなさに対する心理学者の寛容さは昔から異常に高かったですよ。そういうふうにトレーニングされるんでしょうか。「実験条件を完璧に揃えるのは無理だから再現できなくて普通だ」とか「再現性がなくても議論を喚起するような研究は良い研究だ」とかよく言われました

 実証的なエビデンスと称しているものがウソだったというだけなのに、訳知り顔の「学問論」に絡めて擁護の理屈をひねくり出す

https://twitter.com/ykamit/status/837096684341469184

 日本人の科学者(身分でなく職業)は心理学者を彼らの真理で批判してきた。しかし、俺はこの種の問題は科学でなく、社会組織や社会性の欠如の問題である。たとえ彼らが心理学を批判するとしても、心理学者は変わらない。

なぜなら、契約相手に対する損害に関する刑罰が存在しない。日本人の科学者は心理学者を批判するけれども、彼らもまた心理学者と同様に刑罰を異常に嫌う。彼らは何かあると、学問の自由や大学の自治を掲げて、契約相手に対する損害を賠償しようとしない。

上記では、心理学者の屁理屈が批判された。この原因は刑罰の欠如である。もし刑罰が存在するならば、この種の学者は再現実験を提出しようとする。大学組織の自浄作用のなさは刑罰の欠如である。

再現性のない実験を契約相手に提示する?

 契約相手の研究費は科学者の知的労働との交換である。もし彼らがまともな知的労働を契約相手に提示できないならば、彼らはその損害を賠償すべきである。この種の発言に対して、日本人の科学者は科学はすぐには役に立たないものとごまかしてきた。

しかし、この種の返答はチンピラや団地の人間がいつかbigになると言っているようなものである。日本人の学者気取りは社会性を持っていないので、彼らは科学事業が公共事業であることをどうしても認識できない。いつか役に立つだろうという発言は契約相手との契約を成立させない。

たとえ科学者が損害を与えるとしても、契約相手は学問の自由や大学の自治のなの下で刑罰を彼らに下せない。この状況はキリスト教的な奴隷や家畜政策であり、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」である。日本人の日本国民は再現性のない実験によって搾取され奴隷にされているのに、彼らは損害を賠償しようとしない。

白人様
白人様

 まず初めに、契約相手を見よう!

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