ヌシ火と正当性〜俺らは君の認識や判断や信念を侵害しない〜

俺らの信仰
https://ja.wikipedia.org/wiki/炎

 宗教は人間社会を形成する。同時に、宗教は君の自然な認識をしばしば侵害してきた。その結果、宗教は人間の認識を奴隷化してきた。

たとえ君がどんなにおかしいと感じるとしても、もし宗教や契約や白人が作った日本国憲法や法律が君の感情や違和感を禁じるならば、君はそのおかしさを胸の中にしまわなければいけなかった。この種の気味の悪い現象は宗教における性の儀式や研究室における奴隷労働やアニメーターによる過酷な労働にあわられている。

そして、アメリカ大陸に白人が存在していて、石油や食料をモンゴロイド人種に売却している。君はこれを見ておかしいと思うだろう。学問の自由や報道の自由、そして民主制度を見て、君はそれらのおかしさを感じないか?

 この信仰では、俺のヌシの復活が最も本質である。俺は死にたくないと真剣に考えてきた。俺のヌシの復活に反さない限り、この信仰は君の自然な認識や信仰を侵害、妨害しない。

俺のヌシの復活という目的さえ守れば、君は奴隷化・家畜化されないだろう。ただし、君が日常生活を営みながら、すべての善悪を一回一回下すことは時間の観点から不可能である。だから、この信仰では、俺はある種の善悪の判断を銀行の引き落としや商品の自動的な製造のように自動化する。

ヌシ火と正当性〜おかしいや違和感の原因は?〜

 俺や君が社会を形成するとき、統一された善悪の判断が必要である。そして、その判断の正当性はこの世界の創造主たる神(の言葉)や信仰の目的によって与えられてきた。そして、神の言葉や信仰の目的に反する存在や状態や行為は正当でないと信仰者によって判断されてきた。

しかし、俺はこの種の「善悪の判断」観に強烈な違和感を覚える。なぜなら、俺にとって善悪の判断とは、俺の違和感や、何かおかしいという気持ち、そして個人の内側から燃え上がる火のように湧いて出てくるものである。善悪の判断は決して誰かの言葉との機械的な合致でない(照合的正当性、または合致的正当性)。

多神教では、個人個人が神spiritsのような存在であり、各spiritsが物事の善悪を神のように判断してきた。そして、その判断の共通性や共通網が社会における善悪の判断を形成してきた。その結果として、共通認識共同体や共通信仰共同体が生まれた。俺はこの種の考えを正当であると審判した。

 物事の判断を憲法や法律や宗教や信仰に委ねるな、依存させるな。君は君の心の声を聞け、心とはヌシである。君は君のヌシで判断せよ。この信仰はあくまで君の判断の補助である。ただし、俺のヌシの復活は絶対である。それさえ守れば、君の認識や判断は何によっても侵害されない。

 認識 ヌシ火とは、人間が善悪の判断を下す時に、生じるヌシの作用である。作用と状態と運動の違いはわからない。ヌシが運動するか、行為するか、人為するかわからないので、俺は作用と名付けた。火の意味は火が存在か状態か運動か、よくわからないからである。ヌシ火も同様にヌシかその状態かその運動かわからない。

 俺はヌシ火が何かをうまく把握できない。しかし、俺が何かをみて、おかしい、変だ、違和感を感じると感じるとき、俺は俺のヌシがパッと燃えているように感じる。そして、俺のヌシの火が善悪の判断を与えているように感じてきた。

このヌシ火は怒りという感情(蟲)でなく、ヌシが関係しているように感じる。善悪の判断の源泉は蟲でなくヌシであると俺は認識する。もしかすると、ヌシかた生まれるヌシと蟲との中間に存在する何かであるかもしれない。

俺が善悪の判断を下す時、俺は俺のヌシが燃えているように感じる。だから、俺はヌシ火という単語を用いた。

 取り決め 君のヌシ火が善悪の判断の正当性を与える。

 この信仰では、君は個人と社会の二重性を認識する。だから、君は個人的な信念を決して捨てない。君のヌシ火は、俺のヌシの復活を妨害しない限り、決して侵害されない。

個人個人の共通したヌシ火が社会的な善悪の判断を形成する。神や神の言葉や法律や憲法が君の自然な認識や善悪の判断を与えない。法律や神の言葉とのある存在や状態や行為の合致や一致は君の善悪の判断や自然な認識を決して侵害しない。

照合的正当性は機械と同じである。

タイトルとURLをコピーしました