宗教及び信仰の二律背反〜社会性と洗脳的マトリックスとウイルス〜

俺らの信仰
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 認識 宗教及び信仰の危険な二律背反とは、

  1. もし君が宗教や信仰を持たないならば、君の社会は宗教集団に絶滅させられる。
  2. もし君が誤った宗教を持つならば、その宗教はウイルスとして機能して君の社会を滅亡に追い込む。

 古代ゲルマン人のような狩猟民族はバラバラの原子であり、彼らは宗教を必要としない。その結果、彼らは社会性を持たないので、文明を形成できずに、宗教を持つ集団に滅亡させられてきた。しかし、人々が社会を形成するとき、人々はどのような宗教を創造するか、選択するかが最も重要になる。

なぜなら、君が誤った宗教や信仰を選択する時、君はローマ帝国のように滅亡するだろう。もし君が宗教を信仰しないならば、君は宗教を持つ集団に滅亡させられるだろう。しかし、もし君が誤った宗教を持つならば、その集団は滅亡するだろう。

宗教はOSに似ている。君の肉体はハードであり、君のソフトがOSである。もし君が誤ったOSを選択するならば、君のOSはウイルスと同様に、君の肉体を崩壊させるだろう。以下で、君は宗教の死生観を見るが、君はウイルスとしての宗教を実感する。

死生観と宗教

 死生観の意味 死生観は社会の形成に役立つ。だから、死生観は重要である。死生観は戦争や子孫形成にも役にたつ。君はこう審判する。

 菊池誠のような科学にかぶれた人間は宗教が与える死生観をばかにしてきた。しかし、死生観は科学や数学よりも重要である。死生観が存在するからこそ、科学事業や日本国や東洋文明が形成されてきた。

動物や狩猟民族の死生観〜死んだら終わり?〜

 動物は狩猟民族は死生観を持たない。なぜなら、彼らは群れを形成するが、社会を構成しない。君が日本人の学者気取りである菊池誠を見る時、彼らは社会を形成できないことに気がつく。なぜなら、彼らは人間よりも動物に近い。

日本人の科学者や数学者は人間は死んだら終わりとか、地球や宇宙はやがて滅亡するだろうと予言してきた。この状態は ‘ 無死生観状態 ‘ である。彼らは真面目であり、物質的世界の経験則を正確に表現しようとしてきたかもしれない。しかし、この種の発言は人間社会の形成を促さない。

普通に考えればわかるが、死んだら終わりという死生観を持つならば、君は生きようとしないだろう。なぜなら、人間は死んだら終わりであるから、死にそうになっても奴隷や家畜として扱われても、この種の死生観はこの状態に対する抵抗をやめてしまう。なぜなら、どうせ戦って奴隷状態が解除されても、どの道死ぬならば、戦う必要がない。死ぬまで待とう。彼らはこの種の死生観を持ってしまう。

 菊池誠はアメリカ大陸をモンゴロイド人種の手に戻そうとしない(なぜモンゴロイド人が石油や食料をイヌイットからでなく白人から購入するか?これは奴隷や家畜状態である)。菊池は正しい歴史を書こうとしようとしない。なぜなら、彼は死んだら終わりである。だから、たとえ菊池が不安に逆らって白人と対峙するとしても、菊池はどのみち死ぬ。だから、彼は何もしない(でも研究費はコジキしたい、おねだり)。

死生観なき人間は歴史を書こうとしないし、領土を取り戻そうとしない。彼らは羊や家畜のように彼の死を待っているだけである。菊池は学者であるが、学者はこんな簡単なことすら審判できない。

宗教集団の死生観〜キリスト教と天国や地獄〜

 キリスト教の白人は天国や地獄という死生観を持っている。だから、彼らはシリア難民や黒人に優しくしようとしてきた。なぜなら、彼らは善行を積めば天国へと旅立てると本気で信じてきた。

だから、彼らは欧州が死につつあるのに、彼らは抵抗しない。彼らは右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出している。ドイツ人を含む白人はまるで家畜や奴隷のように振舞っている。

彼らの死生観は善行を積めば天国に行けるである。その善行は生贄や自己の犠牲である。この死生観はウイルスと同じであり、白人を絶滅させるだろう。

宗教集団の死生観〜仏教

 仏教の死生観も極楽浄土を唱えれば、よくわからない天国や仏になれるである。仏教の死生観はキリスト教の死生観に似ていて、現実逃避型である。もし秀吉が仏教に熱心だったならば、君はキリスト教徒になり、君の名前はジェームズだっただろう。

キリスト教や仏教は一見すると、素晴らしいことを提示しているように見える。しかし、この種の宗教は他者からの悪意に弱い。相手が君や君の家族の死を望んでいるような状況で、君がこの種の死生観を持つならば、君と君の社会は滅亡するだろう。

死生観の重要性は武器を使用せず、恨まれずに相手を絶滅させることである。相手が誤った死生観を持ち、死んでも良いと思わせれば君の勝ちである。白人に差別主義者と侮辱されても、何も反応しない日本人と同じである。

 重要なことは天国が物理的実体として存在するかでない。重要なことはその死生観が人間社会を継続・持続させるかである。もしその死生観が人間社会を継続させないならば、その死生観は誤った死生観である。正しい死生観とは人間社会を持続させるような死生観である。

この信仰と死生観〜恐れのない、かつ希望がある〜

 この信仰の死生観は俺のヌシの復活である。その後、俺は君のヌシを復活させる。俺はこの信仰における死生観を創造するとき、次のことに注意した。

  1. 無気力や意志の欠如を導かない
  2. 現実的で、現実逃避型でない。現実的とは実際あり得そうなである。
  3. 恐れや罰を使用しない。
  4. 希望があり、主体的に信じるに値すると思わせる。内側から信じたい思わせる何かがある。
  5. 人間社会を持続・継続させる。
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