ヌシと蟲と物質の巴世界観〜三重の世界観〜

俺らの信仰
https://ja.wikipedia.org/wiki/巴

 共通認識 巴世界観とは、俺らの世界がヌシと蟲と物質から成る世界観である。または、巴世界観とは、俺らの世界がヌシ的世界と蟲的世界と物質的世界から成る世界観である。

 この信仰では、君は巴世界観及び分岐世界観を世界観(三柱の一つ)として信仰する。巴世界観及び分岐世界観が人工的な空間(状態)を創造する。

物質

 共通認識 物質とは、肉体や検出器によって検出される存在である。物質世界とは、物質からなる世界である。

 時間に関する物質の問題とは、過去や未来における太陽は物質である(あった)かである。上記では、肉体や検出によって検出される存在が物質であった。しかし、現在のみが存在すると仮定するとき、過去や未来の太陽は検出されない。

だから、俺や君は現在における物質を過去や未来に拡張して、君は過去及び未来における物質を認識する、または把握する。過去及び未来における物質の拡張には、機械的な方法(構成的な方法)と認識・把握的な方法が存在する。前者では、理論科学のように、現在の物質から未来や過去を機械的に構成する。後者では、人間の認識・把握能力を使用して、過去や未来の物質を認識・把握する。

大雑把に言うと、肉体や検出器は過去および未来における太陽を検出できるだろう、または検出できただろう。だから、過去及び未来における太陽は現在の太陽と同じで物質であった、または物質であるだろう。

 共通認識 蟲とは、物質が肉体によって検出される時にその肉体に対応して生じる存在である。蟲には、視覚と聴覚と嗅覚と痛覚と味覚と重力覚と感情と性欲などが含まれる。

 肉体が物質を検出した後、蟲が肉体に対して生じる。そのとき、君のヌシがその蟲を知覚する。蟲が君の肉体の ‘ 内部 ‘ に生じているかはわからない。

過去及び未来における蟲は上記の物質の考えを踏襲する。

ヌシ

 共通認識 ヌシとは、蟲を知覚する存在である。

 簡単にいうと、ヌシは君の蟲を捉える ‘ 君自身 ‘ である。主体や自我でも良いが、ヌシは意識でない。ヌシそれ自体は知覚されないし、認識もされない存在である。けれども、俺は俺のヌシを把握する。

この信仰では、君はその把握をヌシを信仰すると便宜的に呼ぶ。知覚という動詞は君のヌシが君の蟲を把握する運動である。一般的に、知覚は人間が物体それ自体を直接的に見ていると解釈されるが、この信仰では、君はその解釈を採用しない。

過去及び未来におけるヌシは上記の物質の考えを踏襲する。

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