相当説得したが、法的な拘束力はないということで、残念ながらこういう結果になった。人権の問題もあり踏み込めないところもあるが、2便以降はかなり確かな形で確認をとっている
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200130/k10012265081000.html
日本政府は武官からの邦人に対する隔離を拒絶した。その後、彼らは法的拘束能力や人権という単語を使用した。この行為に対して、俺は日本の法制度は欠陥であると審判した。以下で、欠陥を見よう。
1:法律の目的とは何であるか?
安倍総理は法的拘束力がないと発言した。この発言に対して、俺は安倍総理は法的拘束能力がないので、感染が日本人に広がっても仕方がないと言っているように聞こえる。
1:法律は戒律か?神の命令か?
安倍総理の問題点はキリスト教やユダヤ教的な法律観である。無宗教の東洋人にとって、法律は戒律でないし、神の命令でない。だから、法律を守って感染が生じるならば、法律の方が狂ってると感じる。
聖書では、神の命令の下で、宗教的に偉い人が息子を殺そうとした。人々はそれがおかしいと感じるが、信仰者にとってその行為は正当であった。白人が作る法律はこのように、目の前の違和感を否定するような法律である。
イサクの燔祭(イサクのはんさい)とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/イサクの燔祭
2:法律と納得〜善悪の判断は?〜
安倍総理は法律を引用した。その後、議員はその引用に納得してしまった。なぜなら、法律がそう言っているからと、、、。
この種の現象は白人が言ってるから、神が言ってるからと変わらない。重要なことは法律に対する善悪の判断や違和感である。
2:人権の問題とは?
(中国と違って)理性ある私たちにはそれができないと。
現状の日本では「検査」を強制することが、その強制が深刻な人権侵害に繋がりかねないこともあって、法的根拠を作ることすらもしり込みしてきたと。
https://maukiti.hatenablog.com/entry/2020/01/30/201301
安倍総理は人権の問題を持ち出して、検査や隔離を拒絶した。この発言に対して、俺はいくつかの問題を提示する。
1:人権はキリスト教の考え
日本人は人権を持ち出して、検査を拒絶させた。しかし、この人権の概念はキリスト教の概念である。なぜ無宗教の東洋人はキリスト教由来の概念を守って、日本人を危険に晒さなければいけないのか?
2:人権の問題もあり、検査できない?
安倍総理は人権を持ちだして、検査を拒絶した。俺が聞きたいのはその状態は良いのか、悪いのかである。もし人権というキリスト教的な概念の下で、感染が広がるならば、その人権こそが間違った概念であると審判される。
3:すべき行動と解決案
1:秩序と安定の重視
重要なことは社会の大局的な自立と秩序である。東洋文明や東洋小人種なしに、日本国も大和民族も存在しないように、日本社会の大局的な秩序なしに、大和民族は存在しない。感染者や疑いのある人間の自由をすべきでない。
2:人権の廃止
人権はキリスト教由来である。だから、無宗教の東洋人はそれに賛成すべきでない。日本国の報道機関がまとめサイトに敗北したのは、視点が白人視点であるからである。

3:違和感の重視〜法律の引用に納得しない〜
ばかな人間は法律の引用や人権侵害という単語に納得する。その結果、感染が拡大する。この問題の解決案とは、君自身の違和感を重視することである。
もし君が感染者や疑いのある人間による検査の拒絶に違和感を持つならば、君はその違和感を捨てるべきでない。君は ‘ 文畜 ‘ になるべきでない。たとえ感染による大規模な死傷者が生じるとしても、法律家や学者などの文畜はその状況を改善すべき悪い状況と判断できない。
大規模な死者の下で、文畜は人権や法律を引用し続けるだろう。そして、彼らはこう言って、責任逃れを繰り返す。
俺らは法律を引用しただけ(だから、俺らは悪くない。)