中世オーストラリア文学(@aaaaa_official )と文学部の不要性[大澤昇平と北村紗衣と田野大輔]

 俺は文系の学部の全てを潰して、文化施設に置き換えれば良いと審判した。大学をシステムと置き換えると、大学が集合であり、教員が要素、大学のルールが群のような数学的構造である。教員という要素の部分が最も狂っているので、一度大学システムそれ自体を潰した方が良い。

1:大澤昇平の発言とそれに対する@aaaaa_official の応答

 大澤が文学部は不要であると言った後、@aaaaa_officialは中世オーストラリア文学を取ったが、@aaaaa_officialは文学部は不要であると審判したと述べた。その発言に対して、ばかな学者気取りは以下のように反応した。

2:それに対する学者気取りの応答

 aaaaa_officialの発言に対して、北村紗衣と田野大輔はおきまりの知識マウンティングを交わした。北村紗衣と田野大輔は発言者の発言の意味を認識していない。その結果、日本人の日本国民は北村紗衣と田野大輔を含む大学教員は不要であり、不良債権であると改めて審判した。

日本人は北村紗衣と田野大輔は社会性を持っていないので、彼らは契約相手である学生との意思疎通すらまともにできない。彼らは会話すらできないと日本人は審判した。日本人の学者気取りは狩猟民族や未開の物体と同じであり、彼らは契約を認識できない。

だから、彼らは契約相手を侮辱してきた。彼らは職業すら認識できないので、彼らは学者や大学教員が職業であることすら認識できない。彼らは学者を身分と誤認してきたので、彼らはマウントを繰り返す。

 日本人の学者気取りにとって、教養や学問とは、他人を否定して自分を認めさせるための何かでしかない。日本人に学問をやらせると、なんというか新興宗教のようになってしまう。卑弥呼の世界や知のキャバクラが展開される。

教養や学問を掲げて、ちやほやされたい。愛されたい。共感されたい。教養や学問は白人の夫や白人ハーフの子供と同じである。

3:@aaaaa_official の発言の意味

  俺が勝手に彼の本音を憶測しよう。aaaaa_official は大学に入学して、あまりのくだらなさに驚き呆れた。そして、深く失望した。

aaaaa_official にとって、大学とは、大学教員という知の肉便器や家畜や豚を彼のお金や彼の借金や彼の両親のお金で買う知のキャバクラでしかなかった。

aaaaa_official は文学部や大学を不要であると審判した。彼は教員マウントや知識マウントを嫌った。大学教員の馬鹿さを証明するために、一芝居を打った。 

 aaaaa_official は文学部の教員のくだらなさを証明するためには、彼らが意味もわからず教養マウントしているところを読者に見せれば良いと考えた。だから、aaaaa_official は意図的にオーストラリア文学という単語を使用した。彼はその時、ばかな教員は彼を真面目に論破して契約相手をバカにした後、彼らは教養は必要であると断言して、自分たちの必要性をことさら強調するだろうと予想した。

 こういうバカが存在するから、教養が重要。私たちの存在は必要(だからお金くれ)

事実、バカな大学教員はaaaaa_official の想い通りに動いた。まるで虫けらのように。aaaaa_official は大学教員はキッズ・アイドルと同様に、物事の意味を認識できないと審判した。周りの人間もまたaaaaa_official の想い通りに、大学教員と文学部は不要であると審判した。

 aaaaa_official は他人の発言の意味を認識できないキッズ・アイドルの不要性を実演した。日本人は人間の知的能力にとって重要なのは教養でなく、審判や判断能力である、つまり宗教でないかとなんとなく感じた。日本人の学者気取りは無知(無知識)出ないが、無審判や無判断である。

aaaaa_officialは日本人の学者気取りに知的能力の未発達を実演することに成功した。彼らはキッズ・アイドルと同様に、発言行為の意味を認識できなかった。

タイトルとURLをコピーしました